最近、時間が余っている。ふと気がつくと、やることがなく暇だと感じる。
なぜそうなったのか、これからどうすればいいのかについて、1本のブログ記事として書いてみる。
時間が余っている理由1. 自動化
今まで、いろいろなものを自動化してきた。
例えば、各種支払いについて。水道光熱費、あるいは国民年金の支払いまで、すべてクレジットカードで引き落とすようにしている。
それから、乾燥機つきの洗濯機を買ったこと。
服をハンガーに通して乾かすなんてのは、想像するだけでめんどくさい…。
自動化というと大げさかもしれないけど、今までそういう小さな改善を積み上げてきた。
それが積もり積もって、少なくない時間の節約になっているのだと思う。
時間が余っている理由2. 在宅ワーク
2020年から在宅ワークの仕事に就いた。
在宅ワークの良いところは、合間に家事ができるところだと感じている。
皿洗いをする、洗濯機を回す、ゴミを出す…など。平日の日中にちょっとした家事ができてしまう。
以前ならば、家事的なことだけで土曜日の午前中が終わっていた。でも、それがなくなって、自由に使える時間が増えている。在宅ワークは単身生活者に優しい。
時間が余っている理由3. つくりおき
2020年から自炊をがんばり始めた。
特につくりおきを始めてからは、生活が楽になった感じがする。経済的に良くなったのはもちろん、時間も浮いている。
いつも週末につくりおきをする。2〜3時間かけて、いくつかの品目を作る。それを平日に消費する、というサイクル。
だいたい4, 5日で消化してしまう。
平日の食事が本当に楽になった。冷蔵庫のつくりおきをレンチンして、ただ食べる。
フライパンも鍋も包丁も使わない。かと言って外食ではないので、外に出る必要もない。
時間が余っている感覚
面倒なことを自動化して、在宅ワークを始めて、そしてつくりおきをしている。そうすると、時間が余っていると感じることが増えた。暇だなと感じる瞬間がよくある。
虚無感というわけではなく、ささやかな開放感に近いかもしれない。
時間が余っていることは良いことだと思う。
「貧乏暇なし」とはよく言ったもので、以前の自分は常に忙しくしていたように思う。
特に学生時代、あるいは働き始めた頃。生活の余裕というものがなかった。
通勤なんてしたくなくて、自分のペースで在宅で仕事をするのに憧れていた。
恒常的に自炊を続けられるなんて無理だと思っていた。
でも、今それらができている。その現実を、ささやかな達成感とともに嬉しく思っている自分がいる。
時間が余っていることは良いことだ。
もっと計画的に生きたい
さて、余った時間を何に使うのか、あるいはどう過ごしていくのかという点について。
ローマの哲学者のセネカは「生の短さについて」という本の中で、以下のように書いている。
人生は浪費すれば短いけど、十分に活用すれば長い
まさしくそのとおりだと思う。しかし、充分に活用できない人は多くいる。
静謐を生きていない人は、余暇が怖い。だから、酒と欲望に溺れて「時を短くする」。
この点もよく分かる。
昔からダラダラと過ごすことに耐えられない自分にとっては、「余暇が怖くて、時を短くする」というのはとてもピンとくる。
セネカの主張はこの1文に尽きると思う。
ただちに生きよ。
自分なりに解釈すると、自分の頭を使って、計画的に生きようという意図だと思う。
時間が余っていると「暇を潰す」方向に走りがちだけど、一呼吸おいて、どう過ごすのかを考えたい。
具体的には、もっと勉強の時間を取りたいと思う。
仕事に関係のある薬剤業務について、あるいはトレードについて、勉強したい。勉強計画を立てなくては、と思う。
あるいは、知るべきことがたくさんある。アジアの民主主義はどうなっていくのか、日本の同性婚を始めとしたゲイの生きやすさはどうなっていくのか。そしてそのために自分が何をできるのか。
小さなことで言えば、趣味を深めたり、筋トレの効率を高めたり、自炊の生産性を上げたり、やることはたくさんある。
そういうことを、頭を使って、計画的にやっていきたいなと思う。そのために余った時間を使っていきたい。
つくりおきに関する記事。
別ブログに書いた、セネカの「生の短さについて」の書評。