親への仕送りと、去年の自分。

2ヶ月ぶりに実家に帰ってまいりました。

 

このブログではさんざん書いているけど、実家というか地元はあまり好きではない。

その気持ちの正体はいまだにハッキリしていないんだけど、一言で言うならば「合わない」のだ。

 

こっちに出てきてほんとに良かった。東京は気楽だ。楽しいし、自由がある。

一人暮らしも今のところ最高。自分だけの空間があるって最高だ。ゲストハウスに住んでいたから余計にそう感じる。

 

でも、なんだかんだ実家には帰っている。

少なくとも2ヶ月に1度は帰る。

そして、徐々に帰ることに抵抗がなくなってきている。

 

そして今回。

帰省が楽しみ、とは言わないまでも、嫌ではなかった。

 

その原因はわかっている。

今回の帰省は入社して初の帰省なのだ。

初任給のうち、1万円を仕送りに充てることにした。

ついに、親に対して与えるものができた。

 

正直な話、仕送りの相場みたいなものがわからない。

少なくとも、1万円という金額が平均よりも低いのはわかるけど。

 

それでも、この変化は大きい。

 

1年前の自分はまだ地元にいた。

留年したから、5年生だった。やりたいこともわからず、牛丼屋のバイトで消耗していた。

まだブログを始めてない。プログラミングもわからない。

 

というか、大学やめちゃおうかなーなんて考えてた。特に先の計画もないのに。

 

そんな人間が親に仕送りだ。

まずはその変化を喜ぼう。

 

そういう理由で、親に対して一つ負い目がなくなった。

 

まだまだ自分のことを落ちこぼれの未熟者だと思うけど、ようやく親の庇護のもとを抜けつつある。

だから、以前ほど帰省が嫌ではなくなった。

 

 

そして気づいたことがある。

僕が無理にでも地元を抜けだした理由をだ。

 

たぶん、自分が嫌だったんだと思う。

 

だいぶ昔の記事だけど、こんなブログを書いた。

 

chuck0523.hatenadiary.jp

 

簡単にまとめると、

地元=悪、東京=最高

みたいな感じだ。

 

でも、地元も捨てたもんじゃない。

みんな楽しそうに過ごしてるじゃないか。

 

そして東京に出てきても不幸そうな人は大勢いる。

 

大切なのは気の持ちようだ。

「置かれた場所で咲く」ことも、「keep looking, don't settle」もどちらも素晴らしい。

 

ただ、いつまでもスタート地点でグズグズしてるのが唯一情けない。

 

1年前の自分の姿を思い出す。

 

大学が休みで、平日に家にいることがあった。

両親が働きに出ているのに洗濯物を干しているだけの自分が情けなくなった。

アルバイトのシフトを入れても、気休め程度にしかならなくなった。

 

まるで自分がなんの価値もない、社会から見捨てられた人間のようだった。

 

とにかく働きたいと願った。

何もしてないことが一番辛かったりする。

 

 

つまるところ、地元は合わないしずっと居続けるつもりもなかったけど、それを自分の無価値観と重ねていたのかもしれない。

 

その閉塞感をエネルギーに変えることができたから、結果オーライではある。

 

でも、仕送りを携えて実家の最寄り駅に降り立った時、当時の自分の気持ちが分かった。昔の可哀想な自分を客観視することができた。

 

僕は情けない自分が嫌だったんだ。

 

ようやく言葉にすることができた。

 

 

☆☆

 

さっき、ほぼ終電で帰ってきた。

 

悪くない帰省だった。

父親は相変わらず不器用だ。5分くらいでご飯を食べ終わり、自室でテレビ。

 

僕と妹がわざわざタイミングを合わせて帰ってきたのに…。

 

だから、母親と三人で話していた。

妹は今年で20歳になった。三人でお酒を飲みながら話していた。

 

お互いが自律して敬意を払えるようになれば、家族は変われるのかもしれない。

 

そんな、将来に少し期待できるような帰省だった。