どうも!chuckです(久しぶりにこんな挨拶書いた笑)
ゲイブログカテゴリにて「お題」を設定したら面白いのではないかということで。初回のお題は「ブログを始めた理由」です。
LINEグループに参加していない方も、他のブログで書いている方も、奮ってご参加くださいませ。
なぜはてなブログを選んだのか
まず初めに。数あるブログサービスの中でなぜはてなブログを選んだのかという点について。
これは間違いなく「しげりさん」の影響だ。
内容はなんてことはないゲイの雑記。
そして、うつ病との闘病生活について。
僕がこのブログを見つけた時、彼は既に亡くなっていた。2010年1月、うつ病の波の中で溺死してしまった彼。遺書のような記事を最後に天国に旅立ってしまっていた。
それから少しだけ時間をかけて彼の記事を読み切った。読み切ってみて、偉そうな言い方になるけど、何かバトンを受け取ったような気がした。ブログを書きたいという気持ちは既にあったんだけど、どのブログサービスを使うかという判断において「しげりさん」の存在が最後のひと押しになった。
この場所で、はてなブログで、自分の生きてきた足跡を残していこうと思った。
ブログを始めた理由
さて、肝心のブログを始めた理由そのものについて。
これは少しだけ話が長くなる。
僕がブログを書き始めたのは2014年の6月。もう四年近くも前のことになる。
他の方は何度かブログを作ったり、引っ越しをしたりしてきたみたいだけど、僕にとってはこの記事が本当に人生で最初のブログ記事だった。
自分の書いたものが全世界に発信されたのだということに緊張した。(大袈裟)
大量のアクセスが来てしまったらどうしよう…。知り合いに見られたらどうしよう…。荒らし(死語)がやってきたらどうしよう…。
今にして思えば杞憂以外の何物でもないんだけど、4年前のあの日、本当にドキドキしたのを覚えている。
ブログを始めた理由については、書いていなかったかもしれない。良い機会だ。長々と書いていこうかな…。
さて、ブログを始めた当時の自分はまだ大学生だった。大学5年生。5年生ということは、もちろん留年している。
留年した理由は単純で、大学に行っていない時期があった。大学3年の頃かな。その時点で既に卒業までの単位が足りていないことが逆算できていた。なんてダメ大学生だったんだろう…。
というかそもそも自分の軸みたいなものが無かった。何となく甘やかされて育てられてきて、やりたいことも自分自身のことも分からないまま20歳を迎えてしまっていた。
そもそも大学1年の春に取得した「会計学」が難しすぎて完全に挫折した。よくよく調べてみるとそれは本来2年生向けの授業だった。「基礎会計学」の履修を前提としていること、ちょっと調べれば分かったのに…。
そんな要領の悪さは他の授業でも炸裂した。ちょっと難しいとすぐに休んだ。休んだ分を誰かに聞くということもできず、「この授業の単位は捨てよう」という逃げに。
今でも覚えてるんだけど、単位を捨てるということには中毒性がある。単位が足りなくても進級はできてしまうから、当面は問題にならない。卒業の時点で140単位が揃ってればいい。
だけど気がついたらそんな未来へのツケは膨れ上がっていた。「留年」という言葉がいよいよ現実味を帯びてきて、周りと足並みが揃わなくなってきていた。周囲の学生が「ゼミ」や「就活」という言葉をささやき始める頃、僕は1人「留年のことが親にバレるのはマズい」とノイローゼのような状態になっていた。
要は新しい環境に適応できないまま、現状を改善することから逃げ続けていたって話なんだけど。
それから唯一の居場所だったLGBTサークルを辞めた。完全に浮いていたし、留年の件でサークルどころではなかった。
だけど素直に現状を受け入れることもできなかった。mixiのプロフィールには防衛線のように意識の高い言葉を並べ立てた。
「英語勉強中/ 海外就職希望/ 人脈広げたいです」等々…。超恥ずかしい。実績も能力も無い、だけど努力もしていない人間が綺羅びやかな言葉を羅列する、The意識高い系。まだ繋がっていた元・友だちに見てほしかった。愛情と虚勢が半分ずつくらい。
大学生なんて学生生活を楽しんでおけばいいのに。やりたいことがあるなら邁進すればいいのに。その狭間に落ちた人間にはあまり良いことは無い。
僕の身に起こった「あまり良いことではないこと」は、mixi経由のメッセージという形で現れた。
「初めまして!chuckくんのプロフィールを見て大変興味を惹かれました。
良かったら実際に会ってお話してみませんか?夢の実現のお手伝いをさせてください」
怪しいー!こんなメッセージに反応する人いるの?と普通は思うんだろうけど、当時の自分は速攻で喰い付いた。塞がりかけた道にまた光が差しかけたように錯覚していた。
実際に会ったのは20代中盤の自称起業家。新宿駅南口のドトールでお茶をした。
20代中盤の起業家の経歴、奨められた儲け話。真実なんてどうでも良かった。他に居場所も頼れる人もいなかった自分はアホみたいに喋りまくって全てをさらけ出した。馬鹿みたいにゲイであることまで話した。
受け入れられたと思った。きっと内心で笑われてたんだろうな。
現実逃避をする人間の行動力は舐めたもんではなく、あっさりと高田馬場の学生ローンで60万円を借用して、池袋の投資スクールに入学料として振り込んでいた。
ほどなく投資スクールは消え去っていて、自称起業家とも連絡はつかなくなった。
その後は大学に行ったフリをしながらネットカフェでネトゲをする生活が半年ほど続いた。端折るけど。人生の中であれほど孤独で不毛な時間は無かった。
それから年度末がやってきた。大学から実家へと真っ白な成績表が送られてきたのをキッカケに、親に全てがバレた。
「帰ってこい」という旨のメールが父親から送られてきた。帰りたかった。けど家の近くまで来た時点で動けなくなった。近所の自転車屋の雨よけの下で立ち尽くした。
生まれて初めて親から失望された。
それが大学3年の頃。僕はまた大学に戻った。親に説得されたからでは無く、大卒の価値に気づいたわけではなく、とにかくもう「抵抗」する力が無くなっていた。
当然、知り合いに再会する。良い儲け話に出会ったから大学を辞めるとまで豪語してしまったのに…。気まずいと感じる余裕も無かった。ただひたすら耐えて過ごした。
それから大学生活の5年目が訪れた。5年生というのはある意味で清々しい。同期以上の知り合いに合わなくて済むし、留年生同士の連帯感もある。
少しだけ余裕が出てきた自分を次に襲ったのは、ただひたすらの悔しさだった。もっと自分の芯があればこんなことにはならなかった。色々な局面で素直になっていれば、真っ当な大学生活を送れたかも知れないのに…。
自分の人生を生きようと思った。
まずは自分が何も無いゼロの存在だと認めることにした。ゼロの存在がいきなり10を手に入れようとしたり、100に見せかけるのはもう辞めることにした。
まずは1を足すこと。虚構ではなく何か実体のあるものを手に入れて、何者かになりたかった。
とても短いアンテナを伸ばしてキャッチした情報によると、「プログラミング」というものが今アツいらしいという情報を掴んだ。
プログラミングを学ぼう。プログラミングを学んでみたい。それは何か手触りのある実体のあるもので、自分を何者かにしてくれるはずだ。
僕は待てなかった。大学卒業まではまだ1年もある。就活だって1年遅れでする気にもなれなかった。
だけど、当時は神奈川の片田舎にある実家に住んでいた。そこから東京の大学に通っていた。学生でもできるプログラミングの仕事なんて、地元にはほとんどなかった。
まずは上京だ。大学生活を送りつつプログラミングを学べるような環境を作るには、まずは東京に移り住んだほうが良さそうだ。23歳の自分はそんな計画を練った。
今度こそ、自分の人生を生きる。
上京してプログラミングの仕事を見つけて、大学なんてさっさと卒業してやろう。スキルさえつけば、就活なんかしなくても後からついてくる。そんな予感があった。
そんな当時に開設したのがこのブログ。
自分の密かな計画を、友人に吹聴することもSNSに書くこともしない。そう決めた。このブログに一歩一歩、こっそりとしっかりと足跡を残していこうと思った。
だから僕がブログを開設した理由は「自分の人生を生きるため」です。
赤裸々すぎて&長すぎて、公開するのを躊躇ったけど、書きたいことを書けなくなったらブログではないので公開することにしました。
有り難いことに今は東京で現役のプログラマとして働いて、そこそこ幸せに生きております。