さあ、週末だし考えよう。ずっと考えないようにしていたけど、自分の本当の内面について。自分の決定的な弱さについて、書きながら考えてみる。
これまでの遍歴
ここ2年ほどの近況を整理しておくと、以下のようになる。
- 就活をせずに、プログラミングの独学をスタート
- 上京をして未経験の学生でもできるプログラミングのアルバイトをスタート
- 大学卒業と共に、バイト先の会社で正社員となる
- 正社員となるも、もっと新しいことを学びたくて1年の勤続を経てweb企業に転職
- web企業に勤続中、海外のスタートアップから仕事を依頼される
- 合計で2年間の会社員生活を辞めて、フリーランス化
- フリーランス生活を利用して、台湾長期滞在
- カナダに飛んで仕事を探すも、あえなく失敗
最後の1点はともかく、まあ社会人3年目の経歴としてはちょっとユニークだと思う。少なくとも表面的な部分だけを見れば、我ながら頑張ったなあという気がする。
その内面
まあ、この2年で転々としたよね。その都度、合理的な理由はあった気がする。
「就活は面倒だし、自分は耐えられる自信がない」
「もっとキャリアアップできる会社で働きたい」
「海外の仕事だけになれば、働き方が自由になる」
うん、最もらしい理由たちだ。ずっとこのブログで経過を書いてきたわけだけどさ。
でも、それって表面的な建前に過ぎなくて、その裏にはずっと一貫している本音があるんだよね。
それは「他人からスゴいと思われたい」。
膨らみ続けた自己顕示欲
大学生くらいの頃なら誰だって自己顕示欲はあると思う。人からスゴい!と言われるのは誰だって気持ちがいい。
それでも、社会人になるに従って、みんなそれなりのポジションに収まっていくんだよね。能力とか選好に応じてさ。あるいは本当にハイスペックな人は自己顕示欲なんて関係なく成功していくし。
自分の場合は、それをずっと持ち続けてしまった気がする。というか、持ち続けることができてしまった。
プログラミングの勉強とか、未経験プログラマって今はすごく流行ってるんですよね。それと、プログラマの間では英語ができるって一種のステータスなんですよね。
自分は偶然にもその両方をそれなりに獲得してしまった。
未経験からプログラマになったことについて沢山の人からスゴいと言われるし、会社の中でそれなりに英語ができるとスゴいと言われる。
自分はプログラマとしてはまだまだ若手だし、英語だってネイティブレベルとは程遠いんだけど、それでも必要以上に褒められすぎてしまった。その結果として、徐々に現実と自己認識との間にズレが生じてしまっていた。要は、勘違いしてたってことなんだけど。
自己顕示欲の裏側
このままじゃマズイよなあという気持ちはあった。それでも状況を変えずに目を逸していたのは、それが楽だったからだと思う。スゴいと言われて気持ちが良い、とは別の問題として。
正直な所、今までの会社で良好な人間関係を築けたという自信は無い。一緒にランチに行く人はほとんどいなかったし、飲み会になると確実に一緒にいる人なんていないから狼狽えてしまった。それでも、ひとまずスゴい的なポジションにいれば居場所があるように錯覚していた。
なんて孤独な状況だったんだろうと、今にして思う。
結局、自己顕示欲の裏側には、叫びたいほどの孤独感があったんだろうな。それは、仲の良い人が欲しい。居場所が欲しい。要は愛されたいという気持ちの裏返しだったんだと思う。
同性婚したかったのは
カナダに行ったのは仕事を見つけるため。仕事を見つけるのは長く住むため。そして長く住むのは、結婚して家庭を持ちたかったから。
一見、最もらしいけど、これは目的であって理由ではない。
本当のことを言うとね、同性婚したい理由は、そうすれば無条件に幸せになれると思ったから。
僕は愛を知らない。人を愛することがどういうことか、まだ分かっちゃいない。具体的なパートナー像も家庭像も無い。
そんな状況で結婚したいと言っても、客観的に見て、現実逃避と紙一重でしかない。
更に悪いことに、結婚すれば、
これを書くのは怖い。手が震えてしまう。なぜなら自分の核心の部分だから。
他のゲイのカップルよりも上に立てると思ったから。
僕は、幸せなゲイのカップルが羨ましくて仕方がない。彼氏がいること自体ではなく、愛を知っていることが羨ましい。自分の知らないことを知っていて、それを共有している人たちがいる。そのことが妬ましくて仕方がないんだ。本当に。
でも、残念ながら、日本では同性婚はまだ認められていない。だから、英語と専門的なスキルを身に着けて海外に行けば、自分は同性婚できるかもしれない。そうすれば、愛を知らない自分だって、それを知っている人たちよりも幸せになれるんだと、そんな風に勘違いしていた。
結局のところ、自分のここ2~3年の頑張りというのは、虚しいだけの孤独な闘争だったんだよね。
君は何から逃げているんだ?
あまりに準備不足でカナダの入国審査に引っかかった時、入国審査官から言われた。
「君はいったい何から逃げているんだ」
それは一通りの聴取が終わった後に、半ば説教のように言われた言葉だった。
「君は何かから必死に逃げているように見える」
その言葉を聞いた時、何か核心を付かれたような気がしたけど、上手く飲み込むことができなかった。だけどその言葉は、膨らみ続けた自己顕示欲に、針で刺すように穴を開けたんだと思う。
時間が経った今、何から逃げていたのかなんとなく言葉になり始めた。
僕は人と真剣に向き合うことから逃げていたんだと思う。
大切なのは、愛を知ることではなく、愛すること
僕はずっと愛を知らないと思っていた。でも、愛を知っているかどうかって実は些細な違いなのかもしれない。
ひょっとしたら、愛を知らなくても、人を愛することはできるのかもしれない。
それは相手の気持ちになって、気を配って、関係を大切に育んていくことだと思う。とても当たり前のこと。
でもさ、怖いよね。
嫌われるのも、拒絶されるのも怖い。
だけど、僕はもう今の生き方に疲れてしまった。人と真剣に向き合うことから逃げた結果、孤独じゃないふりを必死にしなければいけなかった。これ以上、そんな虚勢はとても張れない。
結局自分の弱さって
僕はずっと自分の弱さを、愛を知らないことだと思っていた。
だから、集団に溶け込めないし、友だちが少ないし、彼氏とも長続きしないのだと開き直っていた気がする。
でも、能動的に愛そう、大切にしようといつも思っていただろうか。
いや、そもそも相手に関心を持とうとしていなかった。きっと自分が一番可愛くて、損をしたくなかったからじゃないか。
圧倒的な自分本位。それが僕の弱さだ。
自分本位が過ぎる内は、孤独からは逃れられない。
とまあ、そんな風に週末に考えたわけです。
最後に、子どもの頃にプレイしたゲームのとあるセリフです。恥ずかしいから出典は伏せちゃうけど、こんなにも大切なメッセージを受け取っていたんですね。
私、みんなが、くやしがったり
うらやましがったりすることを
勝つことだって思ってた・・・・・・
だけど、わかったの・・・・・・。
今の私にとって、勝つってのは
みんなが笑うってこと・・・・・・。
これからはちょっとずつ、人を笑わせていかないとね。