昼寝があまり好きではない。昼寝から起きた時の気分は最悪。特に、平日の仕事終わり。疲れすぎた体をベッドに沈めるように寝落ちする時がある(それはもはや昼寝ではないかもしれないけど)。12時前後に目が覚めた時の、あの感覚は本当に最悪だ。それがまさしく今なんだけど。
「賢者タイム」という言葉があるけど、昼寝から覚めた時って賢者タイムの比ではないくらい全てがどうでもよくなる。心の防波堤が吹き飛んでしまって、いつもは考えてないようなことにまで思考が及んでしまう。
自分は東京で一体何をやっているのだろう。プログラマという仕事でいつまで食っていけるのだろう。いったい何の為に生きているのか(ヤバイ)。
今日も元気に遅刻した。一度会社内のジムに寄って、ロッカーにカバンを押し込んでからデスクへと向かった。カバンを持ったまま遅刻・登場するのは「本日、私は遅刻しました」と堂々と宣言しているようなもの。手ブラで登場することによって「あの人、定時からいたのかな?ちょっと離席していただけかな」と思わせることができる。遅刻常習犯の朝は忙しい(何を言ってるんだ)。
仕事自体は楽しい。最近、身に覚えが無いOutOfMemoryエラーが頻発していた。僕らが採用しているプログラミング言語のメジャーアップデートに、Memoryエラー関連のバグ修正が含まれていたので、いっそのこと言語更新をしようということになった。それが僕の今週のタスク。なんとか今日、やり終えることができた。
達成感がすごい。簡単なタスクではなかったけど、これまで経験をフルに活用して、乗り切ることが出来た。自分、偉い!と褒めてあげるけど、肉体的な疲労はまた別の話。
帰宅して即、爆睡した。
明日もまた出社だ。昼寝したとは言え、明日に備えて早く眠らなくてはいけない(ブログを書いている場合じゃない!)。これは少なくないプレッシャーとして僕の精神を圧迫している。
テレフォン人生相談のこの回は、僕のプレッシャーを少なからず和らげてくれた。
復職にするにあたって不安だという相談内容。回答者は我らが三石先生。
眠れなくなったらどうしようってアナタ言ったじゃない。眠れなくなったら眠らなきゃ良いんですよ。
眠らないで病気になったり苦しくなったりするじゃない。そしたら、最終的に辞めるっていう決断あるわけですよ。辞めたって死なないんですよ。
靴履く時にさ、この家に帰ってくるんだと。帰ってくれば大丈夫なんだということをさ、自己暗示みたいに、自分の幸せとか、自分の土台を確認する必要があると思うんだよね。
それから、今井先生の回答。
職場で大切なことは仕事することなんです。人間関係はどうでもいい。そこは腹をくくってそう思ったほうが良い。
先のことって考えたってどうしようもない。
少し前にこの回の動画を見つけて、だいぶ気持ちが楽になった。
でも、現実は違うよね。僕以外の人は割と元気に快活に働いているように見える。笑顔で同僚とランチをして、話しかけられた時には感じ良く返事をしている。タフだよね〜。同僚は良い人ばかりだけど、毎日ニコニコと話すほどには僕は余裕がない。
僕は仕事に夢中になって、疲れて、人間関係に割くエネルギーが枯れてしまっている。最近はさっさと定時で帰る。単純に体力が無いのかもしれない。
それと、三石先生の言葉を借りれば、「自分の土台」みたいななのが薄弱なのかもしれない。
以前の読書会の課題本が、よしもとばななの「ゆめみるハワイ」だった。
この本はエッセイで、ハワイでのゆるふわな生活を描いたもの。読んでいる最中は「吉本隆明の娘として生まれた時点で、ハワイでのんびりと暮らすぐらいのことは約束されているよな〜」と斜めから読んでいた(圧倒的な僻み)。
でも時間が経った今、何か心に訴えかけてくるものがある。多分作者は人生を楽しむことが上手いのだと思う。そこには純粋な憧れと尊敬がある。ハワイでの丁寧な生活なんて誰もが手に入れられるものではないけど、例えば日常の中で自炊を凝る人も好きだ。週末に何をするのかしっかりと計画する人も尊敬する。
読書会は居場所感はあるけど、日常生活に浸透しているような自分の土台ではない。
まずは、自分ひとりで自分の生活を楽しめるようになる必要がある。特に平日の過ごし方だよね。長い人生を送っていくなら、そうやって自分の土台を作っていく必要があると感じている。基本的に僕は人生を楽しむのが下手なので。