それでも僕らの拒絶は続く。

最近、人を拒絶することに慣れてきたから書く。

 

きっかけは大学1年生の頃だった、

サークルのイベントが終わり、ホームで終電を待っていた。

すると、いかにも浮浪者という男性が歩いてきた。

片手にはズタ袋、もう片手にはビニール傘、という典型的なスタイル。
そんな男性が傘を振り回しながら歩いていた。近づくにつれ、何やらひとりごとを発していることが分かった。「ちくしょう!」みたいな罵倒が混ざっていていかにも「触れちゃいけない」感がしていた。

周りの人たちは当然無視。
チラ見をしてはケータイや文庫本に視線を戻していた。

けれど当時の僕はまだ無垢だった。おのぼりさんだったから無視するという術を知らなかった。

 

目が合って、つい固まってしまった。

時間にして3秒くらいだと思うんだけど、相手にイチャモンを許すのには充分な時間だった。

「お前何見てんだよ!」と。罵声が飛んできた。
無視するか、その場から立ち去れば良かったんだけど、相変わらず僕は無視するということができなかった。

「あっ、すみません」と謝っていた。
正直、かなり小さな声だったと思う。相手には何言ってるかなんて伝わってなかったんじゃないかな。
でも、大事なのは反応があったということだ。

カツカツと歩み寄ってきて、訳の分からない罵倒を浴びせられた。
怖くて動くこともできなかった。

 

幸いすぐに駅員さんが来てくれた。 

でも駅員さんに連れて行かれながらも、彼はじっと僕を見つめていた。

 


それが4年前の話。

でも、最近また似たようなことがあった。
それはゲストハウスの住人の話。2人ほど、触れちゃいけない感じの人がいた。

 

一人目は60歳の男性。
詳細はここに書いてある。

 

23歳大学生ですが、60歳のおじいちゃんと口論になりました。 - Only you can free yourself.

 

でも、今にして思えばこの人はまだまともな部類なのかもしれない。
定職に就いており一応会話をすることができる。けれど総合的なコミュニケーション能力が欠落していた。という印象。

 

彼の場合、それには2つの原因が考えられる。

1つは単純にコミュ力が衰えていた。
ゲストハウスの空気は殺伐としている。(詳細はこちらを参照)

そんな環境にあってはコミュ力が低下して当然だ。

それが第一の理由。

 

第二は繋がりへの渇望だ。

60歳の彼には何の繋がりもなかったんだと思う。だから僕の登場は嬉しかったに違いない。

なにせ僕は23歳の大学生。それ以前の最年少の住人が27歳の土方の男性であったことを考えれば、だいぶイノセントな存在が入ってきたことになる。

 

そして僕は4年前の反省を活かせないまま。顔を合わせての挨拶はもちろんのこと、入居に際して菓子折りも用意した。
なんて無垢だったんだろう。
底辺の世界にそんな気遣いはいらない。ただ付け入られる隙を与えるだけだ。

挨拶は大事だけど、それは状況や相手による。

 

そんなわけで、無垢な大学生がリビングで夕食を食べており、そこに繋がりを失った60歳の人間がやってきた。

問題なく始まった会話も、徐々にヒートアップしてきた。彼の「とにかく話を聴いてもらいたい!」という焦りが強すぎた。

そんな中で起こったのがあの事件だ。


それから、彼とは一言も会話をしなかった。
退去するまでの4か月の間、彼をいないかのように扱った。他の住人がそうしていたのと同様に。

 


もう一人、特筆しておきたい住人がいた。

彼もまた繋がりを失って流れ着いたような男性だった。

共有部で会っても全く生気が感じられない。
それでいて体臭が臭く、キッチンを長時間使うので他の住人は眉をひそめていた。

 

何が困るって、彼が入居したのは僕の隣のベッドたったのだ。
だから彼の異常性にはすぐに気づいた。夜泣きをするのだ。夜になるとベッドでえんえんと泣いていた。

それだけならまだしも、たまに寝言に罵倒が混ざっていた。

午前2時の「死ね!」に何度起こされたか分からない。

 

それから1ヶ月後、彼に話しかけられた。

僕がリビングに入ると彼が夕食を取っていた。目が合い、驚くほど小さい声で彼は言った。

「良かったら、このリンゴどうぞ」

 

関わるべきではないと、直感が叫んだ。彼が繋がりを求めているのは明らかだった。
そして僕は退去を控えていて、厄介事に巻き込まれたくなかった。

 

さっと右手を挙げた。手のひらを向けて拒絶を表した。

正直、キレられるかと思った。
でも彼は小さい声で「すいませんでした」と言っただけだった。

  

なんてことはない。

ただ存在を無視すれば良いのだ。手のひらを向けることすら必要ない。

拒絶がこんなにも簡単だとは思わなかった。味をしめてしまいそうで怖い。

 

それが最近23歳の身に起こった出来事。

 

でも同時に。秋葉原の加藤が頭をよぎる。

浮浪者やゲストハウスの住人たちは繋がりに飢えていた。そしてもし彼らが加藤のように繋がりではなく破壊を求めていたとしたら...?

ぞっとする。

今この文章を書いてる人間はいなかったかもしれない。

 

拒絶は甘えだ。存在を無視された人間たちを見くびっている。

刺されてようやく拒絶コストの高さに気づくなんて絶対に嫌だ。そういうことに鈍感になりたくない。

 

でも、流されちゃうんだろうな。

順当に僕は大人になりつつある。