オリンピックが始まってしまった。
オリンピックに関するスタンスはいくつかに分類されると思う。
開催支持派、始まったのだから楽しもうぜ派、中止派、興味ない派。
自分のスタンスはと言えば、かなり中止派に近い。
リソース配分の問題だけど、オリンピックに投入される時間・人手・資金をコロナ対策に投じるべきだと思っている。コロナ対策とはつまり、医療へのサポートや困窮への補償など。
「いまやるべきじゃない」というのは、大方の人間が同意するところだと思う。
さらに言えば、このコロナ禍でスポーツ利権が優先されてしまうことへの、本能的な脅威みたいな感情論も抱えている。
開催前は、中止系の運動に署名をしたりしていた。けど、今にして思えば、もっとたくさんのことができたのかもしれない。
この記事を書いているいまの心境を素直に書くと、とても疲れている。
特に、SNSへの疲れが無視できないレベルに達している。
自分は元々、SNS 疲れに敏感な方だと思う。
SNS のリスクを考慮した上で、見える情報を慎重に調整していた。
けれどオリンピック開催後、オリンピック関連ツイートが大量に流れ込んできた。それは想定を上回るほどの量で、一気にコントロールが決壊してしまったように思う。
そしてそれらはテレビに由来するわけで、ネットがテレビに圧迫されているように感じる。一時的に。
久しぶりにテレビ的なノリというかマス的なノリに触れてしまって、本当に疲れた。
前述の「開催されちゃったんだから楽しもうぜ」派の多さにうんざりして、正直に言えば軽蔑に近い感情まで持ってしまった。
「テレビを見ると馬鹿になる」と言う。
これからのニュース番組は「金メダルXX枚!」という明るいニュースと「コロナ陽性者XX人…」というネガティブなニュースが錯綜するわけで、あまりにも異常だなと思う。
今は「SNSを見ると馬鹿になる」状態になっているなと感じる。
大衆的な価値観の移ろいやすさにも改めて驚いた。
「陽性者100人!怖い!」と言っていた人たちが1年後には「(陽性者2000人でも)金メダルおめでとう!」と言っている。
(逆に言えば、オリンピックの影響力の大きさとも言えるかもしれない)
所詮は向こう側に人がいるわけで。SNSを見る目がだいぶ冷めてしまったように思う。
オリンピック期間中だけでもSNSから離れる、というのは今必要な護心術なのかもしれない。
正直なところ、ツイッターアカウントを消そうかなとも思った。
でも、もういい大人なんだし、ゼロイチ思考はやめようと思った。たまには良いこともあるし。
というわけでツイッターのアカウントは消さずに、しばらく距離を置くことにした。
そこで問題になるのが情報収集。
LGBT系の活動家のツイートなどはよく見ていた。けれど、冷静になって考えてみれば、彼らだって何かの一次情報を拡散していることが多い。
XX市にパートナーシップ制度が導入されたとか、XXという議員が差別的な発言をしたとか。
なので、新しい情報収集を模索することにした。
前々から、自分の感覚に近いなと思ったニュース記事が毎日新聞のものだった、ということがよくあった。
なので、良い機会だと思って毎日新聞デジタル版に加入してしまった。
どうやら毎日ニュース記事をメール配信してくれるらしい。
まさか自分が新聞を購読する日が来るとは…。
でも、SNS のテレビ化を受けて、一次情報の取得の重要性を強く実感している。
毎日新聞だけではない。
必要だと思った情報のパイプラインを自分で構築していくこと。それがこれからの資産になるのかなと思った。でないと、SNS のゴミ情報で窒息することになる。
さらに言えば、そもそも自分の人生が強固ならばこんなに疲れを感じない。
またまた、ふまつげんさんのツイートを引用。
いろいろあったけど始まったら皆んなて応援しよう、って意見を散見するけど、興味ないしそうは思わん。
— ふまつげん (@implooob) July 24, 2021
大衆から距離を取って誰にも喜びを強制されないのが財産なり教養を持つ人の生き方だと思う。
ノリが悪くてすまん。
大衆から距離を取って誰にも喜びを強制されないのが財産なり教養を持つ人の生き方。
本当にそのとおりだと思う。
自分はまだまだ。もっと勉強をして、もっと資産を増やして、どんどん自分の人生を強固にしていこうと思った。
それから以前、不動産投資家のゲイの方とお話したと書いた。
彼は1棟目の購入までのモチベーションの維持に関して、「没頭した」と言っていた。とにかく不動産漬けになる。
自分がいま必要なのは、そういう没頭だと思う。
彼氏をいっぱい愛して思い出をつくること、趣味を楽しんで深化させていくこと、資産を増やし人生を豊かにしていくこと。
やるべきことはたくさんある。
というわけで、自分の心を守るために、SNSとは距離を置いて、今まで以上に自分の人生に集中します、という話でした。
最後に。
こんな文章を書いてきたけど、自分はテレビでオリンピックの開催式を見た。友人の自宅で、流れで観ることになった。
本人がこのブログ記事を観るかもしれないから一応書いておくけど、開催式を見たのは良い経験だった。
中止派の自分だから、一人では絶対に見なかった。だから一緒に見れたことを感謝してるよ。
こういう素晴らしいこともあったし。