別に大人気ブロガーになりたいわけではないけれど、どんな文章を書くべきかは時々考えてしまう。
最近のこのブログは、割りと説明的だったと思う。
つまり、1から10まで説明しようとしてしまう。(実際に説明できてるかは不明)
誤解がないように努めるのは、悪いことではないと思う。
例えば、ツイッターでは短文しか書けないので、どうしても言外の推測を許してしまう。そして読解力の乏しい人から、トンチンカンなリプライが送られたりする。(いわゆるクソリプ)
でも、説明的な文章がウケるかと言えば、それはまた別の問題かもしれない。(ウケるとはつまり、アクセス数が増えるということ。人々に読まれるということ)
そんな折に、こちらのポッドキャストを聴いた。
300: Note-Taking Nirvana (@omo2009) https://t.co/y3w7fZFhcz #rebuildfm
— Rebuild Podcast (@rebuildfm) March 23, 2021
Rebuildfmという、テック系のポッドキャスト。その最新エピソード。
ゲストとして呼ばれた omo さんがブログ論みたいなことを話していたんだけど、それがとても面白かった。
#rebuildfm
— chuck (@chuck_blogger) March 25, 2021
omo さんのブログ論、面白かった
ネットのオープンな部分は活かしたいけど、不意に湧いてくるお前誰だよみたいなクソリプは NG というの、とても同意
結局、ネット上といえども仲の良い人たちとそれなりにクローズな感じで楽しむのが一番ヘルシーに思える
omo さんは「隙のある文章を書く」ということを言っていた。
それは身内のためで、補完的な返信を期待しているから、だったからかな。
僕はある意味でピンと来た。
額面通りの受け取り方ではなくて申し訳ないけど、人気ブログが完璧な文章を書いているとは限らない。
むしろ、主観的な物言いをしている方が、読者やコメントが多かったりする。
それもそのはずで、この忙しくも選択肢の多い現代社会において、誰が1から10まで説明するような、先生の話みたいなブログを読むんだろう、という気もしてくる。
有名人や専門的なブログならともかく、このブログはあくまで一個人が書いてるに過ぎない。
むしろ説明しすぎないことによって、(勝手に)共感の余地が生まれるのかもしれない。あるいは、言及したくなる余地ができるのかもしれない。
けれど、隙のある文章は2つのデメリットがある。
1つは誰かを傷つけるかもしれないということ。
「それが悪いというわけではなく」とか「その人がそうだと言うつもりはなくて」とか書けば保険になる。
そういう保険を外してしまうと、「自分のことかも…」と思って悲しむ人が現れるかもしれない。
そしてもう1つは炎上リスク。
説明不足が原因となり、見知らぬ「お前誰だよ」みたいな人からの批判を受けるかもしれない。(もちろん、説明不足ではなく悪意や無理解が原因なら書いた人が悪いんだけど)
というわけで、隙のある文章の方がウケるかもしれないなぁと思った話でした。
これからのこのブログでは、ちょっとずつ隙のある文章を目指していくかも…?(と言いつつこの記事が充分説明的という…)
よくよく考えてみればこれはブログに限った話ではなくて、その他のメディア・媒体だって同じかもしれない。
隙のある文章だけではなく、隙のある喋りもまた、耳目を集めるのかもね。