マドモアゼル・愛先生が「腹をくくると個性が出てくる」という動画を公開していた。
Jアノン的な部分がある愛先生だけど、心や生き方に関してはやっぱりピカイチなんだよなと思い出す。
愛先生は、人それぞれに用意された人生のプログラムがある、ということを前々から言っている。
ただ、ほとんどの人はそれを開花されることなく、人生を終えていくのではないかとこの動画では話している。そして安全志向で生きていても面白くない、とも。
これはとても良く分かる。
幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである
という言葉にも似ている。
楽な人生ってけっこう似通っている。
通勤しなくて良い。朝早くに起きなくて良い。仕事をしなくて良い。好きでもない人と接しなくて良い。などなど。
似通った人生を歩むと、そりゃあ個性は失われるよなぁという気がする。
このブログを始めた当初は、自分はまだ大学生だった。そのあとも、働き始めたばかりで色々と余裕がなかった。
あの頃は毎日疲弊していたような気がする。けれど、それだけに常にどこかを目指していたことを覚えている。
その当初のブログの方が、共感は得られていたような気がする。
今の人生の方が良い人生かどうかは知らないけど、楽な人生であることは確か。運が良かったね。
楽な人生はどこか無味乾燥な感じが出てくる。実害は無いのだけど、自分が枯れ木みたいになっていくのが分かる。(29歳で何を分かったことを…と思われてしまいそうだけど)
じゃあ、昔みたいに戻れば良いのかと言うと、それはまた違う気がする。
ここまでに獲得したものは活かさないと。その上で、新しい場所も目指していく。そしてそこは自分にしか行けない場所。自分が行くことに意味がある場所、であると良いのかもしれない。(我ながら書いていてよく意味がわからない)
まぁこれは一時的な状態、という側面もあるのかもしれない。
コロナ(covid-19)の影響で、可能性が減ったと僕は感じている。新しく生まれたチャンスもあるのだろうけど、失われたそれに比べるとあまりにも少ない。
アフターコロナでは、また自分の足を使って生きてみようかなという気がしている。外に出て、人と会う。
もっと偶発性を楽しまないと。今年でもう30歳になる。軌道修正するなら今、という感じがある。
最近はそんな風に感じている。
気が向いたらまたいつか続きを書こうかな。
ポストコロナではもっと外に出よう、人と会おう
— chuck (@chuck_blogger) 2021年3月13日
偶発性を楽しまないと!