【3.11】10年前のこの日に何をしていたか、そしていま感じていること

本日は2021年3月11日。3.11の東日本大震災から10年が経った。

ささやかながら、当時の振り返りや、今感じていることを書いてみる。

 

 

その瞬間に何をしていたかはハッキリと覚えている。

実家から大学までの通学途中だった。乗っていた小田急線が、登戸に付く前に路線上で停止してしまった。

 

電車に乗っていたからか、地震の揺れは実感しなかった。

それでも、その時間に電車が止まるのは珍しく、何かがおかしいと感じた。それから停車時間が異様に長くなるにつれて、だんだんと怖くなってきたのを覚えている。

 

しばらくして、乗客らは線路上に降りることとなった。先頭車両の扉が解放されて、順繰りに降りていく。

駅まで歩いて行く人たちは誰も取り乱すこと無く、まっすぐの人の列ができていて、自分もその中にいた。

 

駅についたところで、立ち往生となった。

その辺りの土地勘がなく、かと行って交通機関も頼れない。

 

そう言えば当時はまだ LINE が普及していなくて、 mixi の全盛期だった。すぐさま立ち往生になった旨を mixi に書き込んだ。

もはや何を書いたのか覚えていないのだけど、それでもリアクションはあった。その投稿を見た大学の先輩から、メールが届いた。

 

彼は実家の車を運転して、駅前まで迎えに来てくれた。そしてそのまま彼の家に泊めてもらったのだった。

彼の部屋のテレビでは、震源近くの状況が繰り返し放映されていた。津波の様子や噴火の様子だったかな。それをいつまでも見ていても仕方ないからということで、その日は DVD を見ながら眠りに就いたのだった。

 

あの時に先輩がいてくれてよかったと思う。

もしも独りだったら、自分は駅前で不安なまま過ごしていた…?

 

あの日のあの状況で、即座に誰かを助ける行動に出たあの先輩。誰もができる行動じゃないと思う。当時の先輩は22歳くらいかな。

現在29歳の自分から見ても、いやぁ…すごいなと、そう思う。

 

大学には良い思い出はあまりないと思っていたけど、あの日に限っては自分を気にかけてくれた人がいた。これは一生忘れてはいけない恩義なのだと思う。

 

 

 

それから10年が経ち。現在について。

 

3.11と言えば、まず寄付だ。オンラインで募金が行える現代。とても便利な時代になったと思う。

毎年恒例の Yahoo の検索募金。

fukko.yahoo.co.jp

 

今年は LINE でもできるようになっていた。

news.line.me

 

LINE って前からこの機能を提供していたっけ?

経営統合したからかな?だとしたら、素晴らしいカルチャーの伝播だと思う。

events.z-holdings.co.jp

 

それから、楽天経由でも寄付ができる。

東日本大震災ではないけど、先日の福島の地震に関して支援が募られていた。

corp.rakuten.co.jp

 

余っていた楽天ポイントをつぎ込み、楽天カードでも支払った。

 

 

 

それから、今日という日は正しい現状認識を持つ良いきっかけだとも思う。

 

最近こちらの本を読んでいる。日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか。

 

いくつか引用をしてみる。

 

原発事故において、逮捕者はゼロ。警察は東京電力に捜査に入らない。安全対策の不備を検証しない。

 

ふくしま集団疎開裁判について。放射能の健康被害を大人よりも受けやすい子どもたちを疎開するための行政措置と保証を求めるもの。仙台高等裁判所は、「とりわけ児童生徒の生命・身体・健康について、由々しい事態の進行が懸念される」としつつも、行政措置をとる必要はない、という判決を出した。

 

福島の事故を見て、ドイツやイタリアは脱原発を決めた。台湾でも市民のデモによって、新規の原発が建設中止に追い込まれた。動かそうとする勢力ではなく、止めるためのシステムも大事。

 

福島原発事故の「子ども被災者支援法」に関して。1年以上に渡って実際の支援がなかった。まず意見公聴会を主張した谷岡郁子議員に対して、復興庁の水野靖久参事官は「政府は必要な措置を講じる。なにが必要かは政府が決める」と言い放った。統治行為論の本質であり、象徴的な発言。

 

約20年にわたって原発建設の現場監督をつとめた平井憲夫の「原発がどんなものか知ってほしい」という手記がある。「電力会社は、原発で働く作業員に対して、原発は安全だという洗脳教育を行っている。美浜の事故は、多重防護の安全システムが次々と効かなくなり、あと0.7秒で炉が空焚きになってチェルノブイリ級の大事故になるところだった。すでに熟練の職人は原発の建設現場からいなくなっており、作業員の95%は経験のない素人だから、老朽化した原発も危ないが新しい原発も同じくらい危ない」

 

あれから10年が経った。今の政治はどうだろうか。

命よりも利権を大事にする人たちが上の方にいるという、その構造は変わっていないんじゃないだろうか。だとしたら、3.11の人災の部分はまた繰り返すんだと思う。

 

よく言われる「3.11 を忘れない」というのは当然のこととして、今日という日は、正しい現状認識をもつ契機なんだと思う。

 

思えば、原子力ムラ的なものに対して、当時から声をあげていたマトモな大人たちは大勢いた。原子力ムラに限らず、自分もできる範囲で、できることをしていかないとなと思う。


3.11から10年が経ち、自分が思い出すことは、そして今感じていることはそんなところかな。

最後に、月並みな言い方になってしまうけれど、東日本大震災で受けたダメージからいまだに回復できずにいる人たちに対しては、 最後までその補填が為されるよう祈っています。