怒りについて

自分の本質は怒りだと思う。

 

バカらしくて就活をしなかったこと。低すぎる収入に呆れて転職したこと。怒りに基づいた選択の積み重ねが、今の自分をつくっている。

 

プログラマの3大美徳というものがあり、「短気」はそのうちの1つ。

短気を有用することで、現状を改善することができる。より良い環境を構築することができる。

 

プログラマになって良かったことの1つは、(良質の)怒りが肯定されたことかもしれない。

 

逆に、謙虚な人というのがいる。

悪い謙虚は身を滅ぼす。怒りの感情に目をつむると、都合の良い存在から脱出できない。自分の苦しみに気が付き、適切に怒り、そして対処できるというのは重要な能力だと思う。

 

こんな話をすると意外と言われる。

自分はどちらかと言えば「穏やか」に見えるのだと思う。

 

実際、人に対して怒りをぶつけたことはほとんど無い。それよりもむしろ、不条理や非効率が怒りの対象だった。

 

というより、怒りを表明することは恥ずべきことだと思って生きてきた。僕らの世代はとりわけ、そのような教育をされたように思う。

 

でも、高潔な怒りが世界を動かすこともあるのだと。最近はそのように実感する日々。

 

前回の記事で、 最近の情勢への所感を書いた。

chuck0523.hatenadiary.jp

 

この記事ではオンライン申請の失敗に触れたけど、給付金自体について書いていなかった。

 

給付金が振り込まれたことに対して、喜びの声を上げる人が多い。

でも、「マスク2枚」に怒りを表明してくれた人たちへの感謝を忘れてはいけないと思う。

 

「うちで踊ろう」シリーズについて。

その裏では献金、献金、また献金。大衆には花火でも上げておけば良いと思われている。完全にナメられてる。そのことに怒りを感じなくなったら、人間として終わりだと思う。

  

僕は人生のスタートが遅かったので、20代は自分のために生きようと決めた。おかげさまで自分の人生はだいぶ良くなったように思う。 

けれど、来年からは30代。自分の人生を良くするためだけではなく、正しい世界の実現のために怒れる人にならなければと思う。