山崎豊子さんの「二つの祖国」の第一巻を読んだので、手短に感想を。
本を購入した経緯は、歴史っぽいテイストのあるマジメな小説を読みたいという気持ちだったからだと記憶している。
そして恥ずかしながら、山崎豊子さんが「白い巨塔」を始めとする数々の小説を執筆された方なのだと今更ながらに認識できた。
「二つの祖国」はそんな大作家の後期の作品になる。
あらすじ。
アメリカに生まれ、アメリカ人として育てられた日系二世たち。しかし日米開戦は彼らに、残酷極まりない問いを突きつけた。アメリカ人として生きるべきか、それとも日本人として生きるべきなのか――。ロサンゼルスの邦字新聞「加州新報」の記者天羽賢治とその家族の運命を通して、戦争の嵐によって身を二つに裂かれながらも、真の祖国を探し求めた日系米人の悲劇を描く大河巨編!
まず初めに、とにかく文章が読みやすい。とても35年前の小説だと思えず、今年書かれたと言われても信じてしまうくらいの読みやすさ。
時代小説だから逆に色あせていない面はあるかもしれないと思った。
時代小説と言っても、史実…!と言った硬い感じは全く無く、あらすじの通り小説として普通に楽しめる。だけど、あくまで歴史の中で起こった現実の世界をベースにしているので、虚構を通して史実を追体験しているような気持ちになってしまった。
二つの祖国を読む以前は、僕の歴史認識はとても浅かったかもしれない。確かにアメリカには戦前から日本人がいて、二世の日系アメリカ人がいて、そしてその血脈は現在に継がれている。
だけどこの小説が教えてくれたことは、現実はもっと多層だったということだ。
小説の中で主人公は、日系アメリカ人という設定になっている。日本人の両親を持ち、だけどアメリカで生まれて、アメリカの国籍を持つ。少しだけ特殊なのは、両親の教育方針で10代を日本で過ごしたという点だ。
そして物語は、日本にルーツを持つ多種多様な人間たちが、戦中に湧き上がった反日感情という圧力のもので、否が応でも追いやられてしまうことで展開する。強制収容所に集められた日系人たちはとても一枚岩ではなく、様々な軋轢が生まれる。
主人公の両親は渡米して商売を営み、それでもなお、日本に感情を置いている。そのような人たちは、アメリカの日系人強制収容所の中でさえ、密かに日本のラジオを受信して、日本が勝戦することを切望している。正直な所、僕にはそんな気持ちが理解できなかった。多分、信頼のベースが国家単位ではなく個人単位の世代として生きている為かもしれない。
一方で、全くのアメリカ寄りの人間もいる。というか、アメリカで生まれてアメリカの国籍を持っている人間にとっては、その状況は屈辱以外の何物でもないらしい。
強制収容所の中で互いに軍国主義、アメリカの犬と嘲笑し合う状況が描かれる中で、主人公は中立の立場に留まろうとあがく。
「ではあなたはアメリカ合衆国に忠誠を誓えますね」
「アメリカ国籍を持つ日系二世の私が、日本人の子孫であるという理由だけで逮捕され、この軍キャンプに入れられたことはショックです…。そしてこの軍キャンプで、民間捕虜として、毎朝、星条旗を見上げる気持ちはどんなものか、到底、お解りいただけないでしょう…。忠誠を問われたり、試されたりすることなく、一つの国、一つの旗に忠誠を示すことが出来れば、どんなに幸せなことかと思います」
このアメリカ兵士との問答からは、主人公のとても気丈で真っ直ぐな性格と、 戸惑いが読み取れる。
実際に、新聞社で働いていた主人公は以下のようなそれなりに確立された視点を社説で掲載した。
国籍の如何にかかわらず、何千年もの間、われわれの祖先が培い、築き上げた”日本”は、われわれの心の中に厳然として存在している。しかし、だからといって、現在、われわれが生活しているアメリカにおける義務を果たさなくてよいという理由はない。一個のりっぱな市民としての義務を果たすことは即ち、良き日本人であり、良きアメリカ市民であることと矛盾しない。良き日本人たろうと努力することが、りっぱなアメリカ市民たり得るのだ。
さらに物語の後半では、ハワイから日系人がやってくる。ここでもまた対立がある。同じ日系人でも、本州とハワイでは日本に対する感情の温度差は全く違っていた。なにせ彼らはパール・ハーバーへの攻撃を非常に近い距離で体験している。彼らにとって、パール・ハーバーの報復に燃えることがアメリカへの貢献になるというのが非常に胸に突き刺さった。
個人的な話になるけど、僕にはハワイ出身が同僚がいて、彼もまた日本の血が入っているので、どうもこの小説とリンクしてしまった。
二つの祖国は全部で4巻まである。
早く続きが読みたい!気になる!というタイプのお話ではないけど、主人公が戦時下のアメリカでどのような生涯を送っていくのか、最後まで見届けたい。折を見て続きを読んでみようと思う。