群れることができない。 

タイトルの通り。

僕は昔から人と群れることができない。

 

そういう人って少なからずいると思うし、ライフハック系の記事でも「人と群れないことは良いこと」的なものがある。

あるいは優秀な経営者さんとかも、「群れない」ことを彼らの軸のように捉えていたりする。

 

じゃあ僕の場合はどうか。

ちょっと自分の人生を振り返って考えてみました。

 

 

たぶん、初めは12歳とかかそこら。

そのころ初めて自分がゲイだって自覚し始めた

 

ずっと漠然とは気づいていたんだけど、「あの子かっこいいなー」と明確に対象が思い出せる最古の記憶が僕にとっては12歳。

 

そっから中学に上がって、徐々に周りとそりが合わなくなっていく。

ここらへんは言葉にするのが難しい。

風景としては覚えているし、今でもたまに夢で見るんだけど。

 

抽象的で申し訳ないんだけど、13歳のとき気づいたらクラスが男女に分かれていた。そんなイメージ。

男のグループがあって、女のグループがあって、「えっ、いつの間にそんなグループ分けがあったの?!」って戸惑ってたのを覚えてる。

なんとなく子ども達が「男として」「女として」生き始めた。僕にはそんな風に見えた。

 

たぶん、思春期とか二次性徴とかそういった感じ?よくわからないけど笑

 

とにかく、僕はその波に完全に乗り遅れた

 

あと、特記しておきたいのは僕の地元の雰囲気。

いまでこそマイルドヤンキーなんて言葉が流行してるけど、中学時代はそれこそリアルヤンキーがいた。

 

イジメはふつうにあった。

最近みたいなの凄惨さはないけど、当時の僕には十分恐れるに足るものだった。

そいつらだけならまだしも、彼らは上級生や高校生なんかともつながりがあった。中学生にとっての高校生ってすごく巨大な存在。

 

だから、3年間ずっとイジメとかヤンキーを恐れてた。

あの抑圧的な環境って、今思えば異常だったなー。

だって、同じ場所で何年も「次は自分がターゲットにされるかも」って怯えながら過ごすんだもん。ぜったい不健全。

あいつらが植えつけた「無力感」がいまだに僕らの潜在的意識で疼いてたとしても不思議じゃない。それこそ自己肯定感の話になるけど。

 

そういったことが相まって、僕は一人になっていった。

かといって完全にぼっちだったわけではなく、中途半端につながりはあった。

 

ゲイだってばれないくらい、イジメのターゲットにならないくらいに、ほどほどの人付き合いをしていた。

 

それから、後先考えずがむしゃらに高校受験の勉強をした。「ここから抜け出したい!」という原動力。

で、地元の進学校に入った。

 

これが失敗だった。かも。

当時中二病を発症していたんだけど、これが順当に高二病に昇格した。

 

男子高だったし、勉強しまくる学校だった。

しかも選んだ部活は文芸部。

もう破滅の一途って感じ。

 

以前↓↓の記事を書いたけど、「他人が気になる病」を発症したのもこの頃だと思う。

尊敬の基準。そして他人が気にならなくなった。 - chuckの日記

というのも、当時の僕は、いまだに「他人が気になってしかたがない病」でした。

22歳にもなって、人の目や行動が気になっていました。

たとえば、空き教室で自習しているとき。サークル集団の楽しげな会話に、いともたやすく耳を持って行かれていました。

脳内に広がるのは、

「群れてないとなんにもできないくせに」という勝手な決め付け。

その一方で「自分は一人でも大丈夫なんだ」という空虚な自尊心。 

 

高校では群れない生活が洗練された。

 

たとえば、サイゼリヤとかで高校生の集団が何時間もおしゃべりしてるのを見かける。

いまでもそうなんだけど、僕は「そういうのホント無理...」って思っちゃう。見てるだけで疲れる。

目的があるならまだしも、ダラダラダラダラと過ごすことに耐えられない。その場にいるのが苦痛になって、帰りたくなってくる笑

 

ママ友とかもたいへんそうだなーって思う。

でも、そういう場にいかないと子どもが仲間はずれにされたり。。。申し訳ないけど、考えるだけで地獄です。もちろん、楽しい集まりもあるんだろうけど。

 

だから、早くも高校1年の夏には交友を諦めてた。

クラスの中でも何気ない会話は大丈夫なんだけど、「この前マックでさー」とか「今度のカラオケなんだけどさー」って話になるとついていけない。なぜなら参加してないし、参加する気もないから。

 

そして幸か不幸か進学校なので勉強がぼっちの免罪符になった。

ただ英単語を暗記してれば存在理由ができた。

 

目をつけるヤンキーもいないし、からかわれることもない。

ただ、進学校とはいえ生徒はピンキリなので「テキトーに遊ぶ派」と「大学受験ガチ勢力」があった。

だから、遊びに参加しない僕に対しては「あっ、あの人はガチの方にいったんだな」って認識だったと思う。

 

そのあとはそれがダラダラ続いて、せっかく大学に入ってもチャンスをつかめず。

 

 

群れることができない。これがようやくプラスに転じてきたのが21歳頃?くらい。

 

新聞読んだり、英語の勉強したり、新しい習慣をつけることがすんなりできた。

ふつうは友達と遊んだりでうまく時間を取れなかったりする。

英語の勉強が習慣づかなかったり、ブログが続かなかったり。

 

きっと時間とかエネルギーの資源配分の問題。

 

 

ただ、いまだに女子とはうまく話せません笑

地味なゲイなので、おしゃれもトークもからっきし。

 

男性社会にもゲイ社会にもうまく溶け込めません笑

 

でも、「ま、それでもいっかー」と思えてきたのがホントに最近。

ブログも始めたし、ちょっとづつ自分に居心地良い場所をつくりたい。

 

そんなわけで、僕は人と群れることができない。

今後は、いまの孤独を孤高にシフトしていきたいです。