早く東京で一人暮らしをしたい。
その想いは日に日に強まっています。
東京には、面白いイベント、仕事、場所、人に溢れているように思います。
ふと気がつくと、不動産サイトや一人暮らしハックを閲覧している自分がいます。
僕が生まれ育ったのは神奈川県の相模原市。
この田舎でも都会でもない町から、東京の私大に通っています。
片道1時間半。
僕は以前、大学に行かない時期がありました。
いくつか理由があるのですが、長距離通学はそのひとつでした。
物理的な距離としての苦痛もさることながら、精神的なものもあったと思います。
とりわけ、最寄り駅までの徒歩20分にはうんざりしていました。
けれど大学3年あたりからは、開き直ってきました。
まあこんなものか、と。
時間のムダ感に、麻痺していたような気がします。
1時間半なんて、本でも読んでいればあっという間。
徒歩20分も、Podcastで英語の勉強。
自己防衛的に、通学の苦痛を紛らわせる習慣が出来上がりました。
けれど、東京欲が再燃している今、いちいち地元に帰るのが嫌だったのかもしれないなーとも思えるようになりました。
通学の時間そのものではなく、地元に帰らなければならない自分の境遇が憂鬱なのかも。
今の僕にとっての東京とは、少し足を伸ばせば行ける場所。
けれど、生活する場所ではなく、あくまで用事のある時に行く場所。
だから、今みたいに夏休みだと地元に縛られます。
もともとアグレッシブではないし、無理にでも予定を入れないと東京からどんどん疎遠になります。
この疎遠になっていく感覚。地元の色に染まっていく感覚。
僕はこれが苦痛です。
あたかも、一生ここで生きていかなくてはいけない。
そんな風に錯覚して、絶望します。
そんな人生、絶対に嫌です。
僕はもう東京の味を知ってしまいました。
今となっては、地元の知り合いやバイト先の人、そしてなにより家族。
いま回りにいる人たちが、圧倒的に人生の選択肢を知らない。
そのことにも気づいてしまいました。
けれど、最近になって東京での一人暮らしが現実味を帯びてきました。
学生でも、不可能ではないかもしれない。
バカみたいだけど、今まで、そんな選択肢があることすら気づきませんでした。
というか、思考停止していました。
一人暮らしできる学生なんていうのは、もっと地方から来ている人や、親からかなり援助されている人。
そう決め付けていました。
「通学できる範囲なんだから我慢するべき」
「実家に住めるなんてありがたいこと」
周囲からの価値観に染まって、いつの間にか自分の選択肢を黙殺していました。
もちろん、この大学は自分で選んだもの。
学費も定期代もすべて親の負担です。
感謝しなければいけない、と思うのと同時に、自分の責任の範囲でなら自由になれるべき。
つまり、自分で稼いで生きていく分には誰も文句言えないはず。
たとえそれが学生でも。
そんなふうに思えてきました。
決めました。
今年中に一人暮らしをします。
早くここから出たい。出なければ。