どうも、ゲイブロガーのchuck (@chuck_blogger) です。
株式会社はてなが提供するサービスに「はてな匿名ダイアリー」があります。通称「増田」。
「保育園落ちた、日本●ね」でも話題になりましたね。
そんな増田において2019年11月、ゲイに関する記事がにわかに上がってきましたので、この記事でまとめます。
ゲイに理解のある意見もあれば、不寛容なコメントもあり、当事者としては非常に気持ちが揺さぶられました。決して誰かを否定するわけではなく、一人のゲイとして「こんなゲイがいてこんな風に思っている」ということを書きます。
- ① アウティングの被害に遭ったクローゼットゲイ
- ② カミングアウトしてきたゲイへのアウティング
- ③ 女性目線でのアウティングへのコメント
- ④ アウティングするしかないという意見
- ゲイ当事者として思うこと
① アウティングの被害に遭ったクローゼットゲイ
一連の記事の発端…と言いますか、11月7日にアップされた記事。
これを書かれた方はクローゼットのゲイでした。
会社の人と旅行に行き、話の流れでカミングアウト。相手の反応は非常に暖かで、彼は安心したそうです。
しかし後日、カミングアウトをした相手が部署全体にそのことを広めてしまいました。
その日以降も出社しているし、あの日の飲み会のことは流して笑ってる。
今にも失踪してしまいたい気持ちがどんどん膨らんで、ギリギリになってきた。
もっと簡単に生きられたらいいのに
この記事に対しては、彼の側に立つブックマークコメントが多いように見えます。
② カミングアウトしてきたゲイへのアウティング
上記の記事に対して。以下の記事が書かれました。
一緒に温泉に入った男性からゲイだとカミングアウトされた話。
彼はカミングアウトしてきたゲイ男性に対して非常に否定的な態度で、アウティングを行います。
彼の主張は2点。
- 自分までゲイだと思われたくない
- カミングアウトされた「戸惑い」と「恐怖」
先程の記事とは異なり、ブックマークコメントは悲しいものが目に付きます。
以下、一部のトップコメントをスクショしたもの。
こういうコメントが書かれてそして同意(スター)を集めているという事実に、ゲイ当事者としては悲しい気持ちになりました。
自分が思っていたほど世の中は寛容にはなっていない部分があるのだと世界認識を改めました。(少なくともはてなブックマークという界隈においては)
③ 女性目線でのアウティングへのコメント
こちらは女性からのコメント。彼女はビアンをカミングアウトされたとしても、アウティングする気になれない。と書いています。
非常に自分の感覚に近いです。なぜそこまで嫌悪するのだろうと…。悲しい気持ちがありますが、それ以上に不思議に思う気持ちが勝ります。
④ アウティングするしかないという意見
次にこちらの記事。ゲイから告白された後に関係が変わり、周りからどうしたの?と聞かれ、アウティングせざるを得ないという意見。
僕はある意味で「なるほど」と思いました。
アウティングの問題について、初めてゲイではない立場に立って考えられたような気がします。恥ずかしながら。
ゲイが思う程には、ゲイではない男性はそれを深刻に捉えていないのかもしれない。この視点はなかったので大変参考になりました。
もちろん、アウティングがシリアスな問題であることに変わりはないのですが。
ゲイ当事者として思うこと
ここからは一人のゲイ当事者として思うことを。
2つ目の記事の彼に関して。
「ゲイだと思われたくない」という心理は、彼や彼の周囲の人々が、ゲイに対してネガティブなイメージを持っているからだと思われます。
でもそれは間違って作られた社会的なイメージだと僕は言いたい。ゲイであること、それ自体は何も悪いことではないです。
そしてカミングアウトされた「戸惑い」と「恐怖」について。彼は人生で初めてカミングアウトされたのでしょうか。その戸惑いは分かります。
でも恐怖は何故なのでしょうか。彼がゲイから「実害」を受けたかどうかは、記事の中では明記されていません。でも、もし何かしらの「実害」を受けたとしたら、それはゲイが悪いのではなくその人物の問題だと僕は思います。
自分はかつて、仕事の繋がりの男性と温泉に行ったことがあります。彼は僕がゲイであることを知っています。
彼はあっけらかんとしており、湯船に浸かりながら仕事の話をしたものです…。彼にはゲイの友人がすでにおり、それがやはり大きいのかなと。あとは彼のパーソナリティもあるとは思いますが。
無知、というと言い方がキツイかもしれませんが、ゲイの情報がまだまだ不足しているというのはあるかもしれません。情報不足ゆえの無理解、という印象を一連の記事からは受けました。
ゲイであることは至極普通だという、そんな認識がもっと広まってしかるべきだなと思います。
また、究極的にはアウティングが問題にすらならない世の中を目指すべきだよなとも思います。
ゲイが完全にOKになった世の中において、カミングアウトはその意味を失っていくと思います。(もちろん個人の選択の問題なので、他言無用を依頼されたなら遵守した方がいいとは思いますが。)
アウティングが問題になること自体が、社会に改善の余地がある証左ではないでしょうか。
とは言え世の中はまだ過渡期なので、アウティングは非常にセンシティブな問題です。
そこをどう守っていくかという問題については、その点も含めて情報発信をするしか無いのだと思います。
以上、まとめると以下のようになりますでしょうか。
- ゲイであること自体は何も問題ない
- 性的な事件は加害者の問題
- 全てのゲイがオープンになりたいわけではないと知ってほしい
- ゲイが普通である世の中になってほしい
一人のゲイとして思っていることを書きました。あくまで1個人の意見です。世の中がもっとゲイにとって生きやすいものになるように祈っています。
書いている人