【人生戦略・生き方】もう頑張るのやめませんか?への違和感

昭和というのは「がんばれ!がんばれ!とにかくがんばれ」の時代だったと思う。そして平成はその揺り戻しというか、「がんばらなくてもいいんだよ」の時代だったと思う。ものすごくざっくりとした時代観だけど。

 

じゃあ、これからの時代はどうなっていくのだろうかと考える。

 

それにしても令和の開幕早々「コロナ」である。コロナに関しては、恩恵よりもダメージの方がはるかに大きい。早く収束してほしい一心。

 

けれど、死亡率の低い感染症なんていうのは、世界危機レベル1みたいなもので。これからもまだまだ新しい災厄がやってくるんだろうなと思っている。

経済的な格差の広がりは言うまでもなく。水不足、食料不足、気候変動…等々。地球規模での問題は、まだまだ控えてるよな…という気持ちでいる。

 

このあたりの話は、「Gゼロ後の世界」という書籍が非常にオススメ。

www.everyday-book-reviews.com

 

日本国内に限定しても、決して明るい話ばかりではなく。

 

年金1つ取っても、僕ら世代ってもらえるんだろうかと思う。

「老後資金 2,000万円」問題とかあったよね。国としては、iDeco や NISA を活用して、個人資産を築いていきましょうという方針。要は、自分で何とかしろというメッセージ。

 

 

そんな先行きの暗い現代なのだけど、たびたび目にする「もう頑張るのやめませんか?」みたいな言説。

言いたいことは分かるし、頑張らなくても良い世の中になれば、それは(少なくない人たちにとって)とても幸福なことだと思う。

 

もし大事な人から「仕事を辞めたい」と言われたら、僕は「(最終的には)辞めればいい」と言うと思う。

でもそれは、最悪の場合に僕がお金を出せる相手だからだ。大事な人の定義の1つって、あげるつもりでお金を貸せる人のことだと思う。

お金じゃなくても、家に泊めてあげたり、ご飯をおごってあげたり。そういうこともできるかな。

 

でも、赤の他人にはあまり多くのことはしてあげられないから、無責任なことは言えないなと思ってしまう。

 

「辛かったら学校辞めてもいいんだよ(そのあとは知らんけど)」問題に似ている。どうしても僕は「無責任だなぁ」と思ってしまう。

 

 

なぜ、頑張るのを辞めるのが危ういのか。その理由の1つは、国際競争があるからだと思う。企業間競争があるからだと思う。

競争力を失ったグループは、低賃金の下請け労働をせざるを得ない。と思っている。

 

「給料は減ったけど、働く日数が減ったので自分らしい人生になりました!」みたいなのも、茹でガエルにならないようにね…といつも老婆心を抱いてしまう。

自分で選んだ人生なら良いのかなと思いつつ、そういうのを「新しい若者のライフスタイル!」みたいに煽るメディアを見てると、なんとも言えない気持ちになってしまう。

 

 

じゃあ、責任ある言い方って何だろうと考える。

疲れ切った人に向かって「とにかくがんばれ!」なんてことは言えない。そういう時のための福祉であってほしい。

 

でも、余裕のあるときはやっぱり頑張った方が良いんだと思う。頑張れる時は頑張る。そして頑張れなくなったときのための、貯金をつくっておく。

これからの時代にとって、それがちょうど良い生き方なんじゃないかなと思ったりする。

 

頑張れるときは、頑張る。

 

 

最後に、「東京貧困女子。」というヒット本の筆者の方のツイートを。

 

ホントその通りだなと思う。良くないことは糾弾しつつも、個人戦略や個人努力はやっぱり大事。

 

www.everyday-book-reviews.com