尊敬の基準。そして他人が気にならなくなった。

僕は現在、大学5年生。

卒業まであと半年、ここで少し学生生活を振り返ってみました。

 

尊敬の基準

4年次に受講したとあるキャリアの授業はかなり心に刺さりました。

授業を受け持つのは、東洋大学から来た非常勤の先生。

 

きっと、これからこのブログで何度も言及すると思うので、今回は一つだけ。

その先生の言葉を引用します。

 

私は30歳のときに、尊敬の基準を決めました。

自分にできないことができる全ての人を尊敬しようと決めました。

 

これは、就活でありがちな「尊敬している人はいますか?or 誰ですか?」という話の文脈で出たもの。

 

この尊敬基準が僕には効きました。

 

というのも、当時の僕は、いまだに「他人が気になってしかたがない病」でした。

22歳にもなって、人の目や行動が気になっていました。

 

たとえば、空き教室で自習しているとき。

サークル集団の楽しげな会話に、いともたやすく耳を持って行かれていました。

 

脳内に広がるのは、

「群れてないとなんにもできないくせに」という勝手な決め付け。

その一方で「自分は一人でも大丈夫なんだ」という空虚な自尊心。

 

当時の自分は本当に黒歴史まっただ中でした。

 恥ずかしいくらいに真っ黒でした。

 

しかし、その授業を境に変わり始めました。

 

まずはじめに、

「僕はああいうふうに集団に馴染むことができない」

「僕はたいしたスキルもないし、決して人材として優秀ではない」

というあるがままの現状の受け入れ

 

そして、

「集団に馴染める人はすごいなあ」

「僕は僕で、どんどん自己投資していかないと」

という前向き思考の芽生え

 

なので、完全に誤用ですが、その尊敬基準は効き目がありました。

 

もちろん、最初からうまくできたわけではありません。

人は習慣の生き物。

意識的にそう思い込むことで、無意識レベルでマインドリセットが起こりました。

だんだんと心の髄まで染みこんで、そして、それは僕の軸となりました。

 

ようやく自他が切り離されました。

自分に自信を持って良いのだし、他人も気にする必要はないのだと。

心がすっと軽くなりました。

 

と言うか、

他人を気にするには、人生はあまりにも短すぎる。

 

と、自分の中で結論付けることができることができました。

笑っちゃうけど、学生生活で得た一番大きなものってそれかもしれません。

 

 そして他人が気にならなくなった。

僕は落ちこぼれだから、あと半年通学しなくてはなりません。

早稲田には相変わらず学生が溢れていて、その一方で相変わらず僕は孤独でしょう。

 

けれどもはや、他人を気にすることはないと思います。

”僕はもう前を向いてしまっている”のです。

 

あとちょっと、がんばります。