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ちょっとマジメなゲイが書くブログ

久々のコーディング試験

ゴールデンウィークいかがお過ごしでしょうか。

僕は連休の真っ只中に「コーディング試験」を受けました。

 

経緯

4月の中頃に、LinkedIn経由でリクルーターからメッセージを受信した。

それは開発者にとって珍しいことではなく、何気ない気持ちでその求人にも目を通してみた。すると、面白い会社の面白いポジションだったので、俄然興味を惹かれた。

 

ひとまず受けてみるか…。(どうせ落ちるかもしれないし)

 

4社のリクルーターから同じようなメッセージを受け取ったので、多分ターゲットは広範囲だ。何気なく同僚に話を振ってみたら、彼もまたそのメッセージを受信していたらしい。

 

ハプニング

ちょっとしたハプニングがあったんだけど、普通に一次試験の日程を間違えた。

平日の昼間に香港から荷電があった。「なんや!」と思って応答したら、「ハロー!試験の準備は万全かな?」なんて陽気な声で訊かれて、心臓が止まった。

試験の日程を勘違いしていたことと、リスケジュールをお願いする旨を伝えて電話を切る。

 

リクルーターからのメールを見返すと、確かに試験日は今日と書いてあった…!だけど、その前に「週末にゆっくり準備しておいてね〜♪」とあった。そして「そっか、週末から準備すればいいや〜」なんて呑気に構えていた。

 

「あっ、ごめんごめん!週末のくだりはコピペだったw」

 

というリクルーターからの返信が。おおおおおおお。

自分が…!自分が悪いんだけども…!

 

僕の脳天気な性格が災いした事件だった。

 

試験準備

無事にリスケジュールができたので、試験準備に取り掛かる。

リクルーターさんからオススメされたhackerrank.comtというサイトで練習問題を解く。一次面接はコーディング試験なのだ。

 

久しぶりに触れるコーディング試験の世界は、冷や汗ものだった。

プログラミングでの最小公倍数の求め方とか、計算量を格段に落とすアルゴリズムとか、もうすっかり忘れてた…。やっぱり実務で使わないことは忘れる。そして試験では問われるかもしれない。

 

不安になって「XX社 コーディング試験」等、ググる。問題は通例2問。1問目がチョロ問で、2問目がハードモードらしい。

狂ったようにハッカーランクの問題と格闘したのが昨夜のこと。6時間ほど経った頃、過集中が切れて寝落ちした。アルゴリズムが夢に出た。

 

試験当日

そして試験当日、というか今日。香港から試験時間ジャストにかかってきた電話を、今度は満を持して即座に取った。

 

コーディング試験はお互いがシェアしている画面をベースにして進めていく形式だった。相手が問題文をペーストして、僕がそれを見ながらコードを書いていく。作成したプログラムは何度でも実行して良いし、どんなテストデータを作成しても良い。

だけどこれは通話でのコーディング試験なので、自分の考えを積極的に発信していかなければいけない。疑問に思ったこと、困ったこと、立てている道筋…等々なんでも。

話しながらのコーディングはやっぱり別の脳を使う。。序盤では、快活に話せて、テストデータに相手の名前なんか入れて笑いを誘ったりもできたけど、後半はグダグダ。 

焦った結果、思考が曇ったのが悔しかった。平時だったらいくらでも解けるレベルの問題だったのに…。だけどこれが本番。

普段はゆるく過ごしているので、本番の張り詰めるような空気に完全にペースを持っていかれてしまったのでした…。

 

希望があるとしたら、時間内に問題を解き終えたことかもしれない。去年受けたコーディング試験では時間切れになってしまったので、正直嬉しかった。

あと、あの緊張状態の中で無意識レベルでバグを何度か潰していた。普段はエラーの内容を読んで該当箇所を発見するという作業があるのに。これはもう経験がものを言ったとしか言いようがない。考えるよりも先に指が動いていて、アスリートの世界ってこんな感じなのかなと思った(言い過ぎ)。

 

結論

終えてみた所感としては、もしこの試験が、

  • 問題を正解すれば良い足切り的試験 →パスするかも
  • 問題を解く過程を見るガチ試験→微妙かも

と言ったところかな。今回の試験の難易度的には、ハッカーランクで問題を解きまくる必要はなかったかもしれない。それよりも、話しながらコードを書く経験がもっと必要かもと思った。もっと言えば、肝っ玉が必要。

光の執着・闇の執着

2018年の訃報と言えば、なんと言ってもル・グインの死だ。aviciiも捨てがたいけど、やっぱりル・グインがこの世を去ってしまったことは僕をとても寂しい気持ちにさせた。

 

ル・グインと言えば、ゲド戦記の原作者として有名かもしれない。

残念ながら僕はゲド戦記を読んでいない。ジブリの映画も見ていない。僕が初めて読んだル・グインの作品は「闇の左手」だ。高校生の頃、修学旅行のバスの中で読んだのを覚えている。背表紙に刻印された「闇の左手」というおどろおどろしいタイトルは、担任の教師を少しだけ不安にさせたかもしれない。

「闇の左手」というのは、シリーズ物の1つだ。ハイニッシュ・ユニバースというリンク物の作品の1つ。

 

闇の左手 (ハヤカワ文庫 SF (252))

闇の左手 (ハヤカワ文庫 SF (252))

 

『所有せざる人々』や『闇の左手』といったSF作品は《ハイニッシュ・サイクル》(en) と呼ばれる未来史に属している(その舞台となる世界を「ハイニッシュ・ユニバース」と呼ぶ)。「エクーメン」と呼ばれる組織によってゆるやかに結ばれた未来の銀河規模の文明を描いたものである。個々の惑星の結びつきは緩やかであり、そのためそれぞれ異なる文化を保持している。『闇の左手』や『言の葉の樹』は、異星に派遣された特使のカルチャーショックと異文化の接触の結果を扱っている。

アーシュラ・K・ル=グウィン - Wikipedia

 

文化人類学者であるル・グインが創る世界はとてもリアル。異次元に生きる人々の生活や文化への丁寧な描写は、高校生だった僕を圧倒的に没入させた。

 

最近、アンディ・ウィアーの「アルテミス」を読んだんだけど、残念ながらル・グインのような没入感は得られなかった。アンディ・ウィアーは映画「オデッセイ」の原作者なんだけども、新作である「アルテミス」は少し中途半端な出来になってしまったかもしれない。評価をつけるなら星3.2。面白かったけど、自信を持って人に薦められるほどではなかった。ただ、映画化は決定しているようで原作を読んでから映画を観たいという人には一読の価値はあるかも。

 

アルテミス(上) (ハヤカワ文庫SF)

アルテミス(上) (ハヤカワ文庫SF)

 

人類初の月面都市アルテミス──直径500メートルのスペースに建造された5つのドームに2000人の住民が生活するこの都市で、合法/非合法の品物を運ぶポーターとして暮らす女性ジャズ・バシャラは、大物実業家のトロンドから謎の仕事の依頼を受ける。それは都市の未来を左右する陰謀へと繋がっていた……。『火星の人』で極限状態のサバイバルを描いた作者が、舞台を月に移してハリウッド映画さながらの展開で描く第二作。

 

アルテミスでは化学的な記述が多くて、それはオデッセイ(原作名: 火星の人)では功を奏したのかもしれないけど、僕はもっと文化人類学的な描写があれば良かったと思っている。複数あるコロニーの性格の違いとか、そこで暮らしている人たちの生活描写がもっとあればなぁと個人的には惜しい気持ち。

 

「闇の左手」では両性具有の人々が登場するんだけど、彼らの生殖サイクルまできちんと説明されている。それは当時高校生だった僕に、SFというジャンルの新しい扉を開いてくれたような気がする。タイトルの「闇の左手」というのは実は「光」のことを表している。闇の左手、光の右手。要は相補的・対照的な関係ってことだ。

 

他に、世の中の対照的な関係と言えば、「愛情」と「依存」があるかもしれない。最近、自分の中の「依存」を強烈に意識することがあったのでそれについて書いてしまう(前置きが長い)。

 

 

僕は自分の作った読書会というサークルが好きだ。そこには紛れもない愛情がある。

だけど先日、読書会のメンバーとのご飯の後に酔っ払って死ぬほど号泣した。そう、(26歳成人男性が)死ぬほど号泣した。

 

酔っ払ってあまり覚えてないんだけど、号泣したのは覚えていた。家に帰ってから始まったのか?はたまた帰り道だったのか。

心配になって、LINEで聞いてみたところ、2丁目のストリートからガッツリ炸裂していたらしい(ヤバイ)。そこで誰かがタクシーを呼んでくれて、コンビニでお水を買ってくれて、部屋の中でまで面倒を看てくれたらしい…。

 

翌日聞いた話によると、いかに読書会が好きか、メンバーに感謝しているかを泣きながら吐露していたらしい。なんて面倒くさい人!

最後まで面倒を看てくれた人が、後日みんなの前で笑い話にしてくれて本当に救われた。

 

例え酔っ払ったとしても、ほとんどの大人は2丁目の表通りでわんわん泣くという大学生のゲイみたいなことはしない。いや、大学生のゲイでもそんなこと滅多にしない。大学生さんごめんなさい。

ここに自分の依存がある。読書会というのは欠かすことの出来ない基盤の1つになってしまった。もし無くなってしまったら精神が大きく揺らぐことが予測される。

 

愛情というのはいくら無料配布しても困ることは無いけど、依存の方は、まともに居場所感を継続させていくなら自分の方で処理をしておく必要がある。読書会はとても大事だし、最近では彼氏との時間も楽しいけど、人生の最小単位は1人なんだということを肝に銘じたい。基本的には自分の脚で立つ。長い目で見ればそれが人の肩に寄りかかる動機を純化させるのだということを、読書会の大人の方々から学んでいる。

 

愛情も依存も、両者の源泉は「執着」なんだよなぁと感じている。光の執着・闇の執着だ(やや強引なル・グインとのこじつけ)。

僕は自分の執着が闇落ちして依存にならないように気をつける必要がある。もし依存になりそうなら、紙の日記でも更新して落ち着くことだ。

執着がどんな因果で愛情になるのか、あるいは依存に転化するのかは良く分かっていない。それは自分の人生で研究していきたいテーマだ。きっと今年の目標として掲げた「人格を良くする」と根底で繋がっていそうだ。

 

chuck0523.hatenadiary.jp

 

(今にして思えばちょっとヤバげなタイトルだ…。)

 

とにかく、僕はこの執着を飼いならしたい。

連休は遊びも大切にしたいけど、1人で考える時間もしっかり取りたい。

少しマジメなゲイの生き様...?

同僚とコーヒーを買いに行くのが毎朝の日課だ。最近のトピックはもっぱらゴールデンウィークについて。

同僚からゴールデンウィークの過ごし方について聞かれる。僕は彼氏と、彼氏の友人2人と旅行に行くことになっている。

 

彼氏の友人については前回書いた通り。

 

chuck0523.hatenadiary.jp

 

「石川県に旅行に行くよー」

 

ありのままに答える。すると、同僚がニヤニヤし始める。

 

「誰と行くの?」「もしかして…?」

 

その場にいたのは4人。3人にはカミングアウトしているけど、もう1人はまだ知らない。3人は同じチームで常に連携して働いている。もう1人は大きい括りでは同じチームだけど、たまに話す程度だ。

 

どうしようかなと思いつつ、味方が3人もいるんだしもういいやと振り切った。

 

「彼氏と行きます…!」

 

3人がいつものノリで冷やかしてくる。やっぱり外国人(特に欧米人)はカップル文化だから、そういうことには無条件でノリノリだ。

もう1人の同僚の顔を伺うと、「おー!」と驚きつつ祝福してくれた。良かった良かった。

 

彼は僕のTシャツを良く褒めてくれるんだけど、後になって「どこで買ってるの?」と聞いてきた。それまでと変わらずに接してくれるのは、カミングアウトが受け入れられるよりも格段嬉しい。すっかり安心して楽天のお気に入りのネットショップを教える。しまった!同じTシャツを買ってしまったら恥ずかしい、ということに後から気づく。

 

 

同僚に彼氏の存在が知られてからは、冷やかされることが増えた。

定時帰宅しようものなら、「めずらしいね。あっ、デートかw」なんて冷やかされて、僕はちょっと耳を赤くしながら退社する。

 

なんて普通*1なんだ。

前の日本人だけの会社では、カミングアウトしたものの、その後の発展はなかった。(ハッテンではなく発展)

 

ゲイであることが普通に受け入れられて、彼氏との関係を普通に冷やかしてくれる。僕はこのことに感謝しなければいけない。いや、本当に理想の世の中とは、それが普通すぎて感謝すら必要のない世界なんだろうけど、今までの自分の人生を振り返るにつけ、やっぱりいちいち心が温まってしまう。

感謝するべきは同僚だけじゃない。大袈裟な話だけど、一歩ずつゲイを普通にしてくれた(してくれている)人たち全てのおかげなんだよなぁと少しセンチメンタルな気分になってしまう。

 

少し前にNetflixで「パレードへようこそ」という映画を見た。

www.netflix.com

 

もうね、良すぎたね。「パレードへようこそ」は純粋なLGBT映画ではなく、80年代のサッチャー政権下での炭鉱労働者への冷遇という側面もあって、両者が交流して絆を築いていく様は涙無しには観れない…(映画評が下手クソ)。

 

思想や結果の違いはあれど、一歩ずつ行動を起こして「ゲイ」を普通にしてくれた人への想いを忘れたくない。後世の人々が感謝を忘れるほどの「普通」は、ある意味では彼らの理想の達成なのかもしれないけど。それでも僕はまだ自分が過渡期にいると感じるので、受け取ったバトンを握っていたい。

 

一緒に働く同僚は、まさしく「パレードへようこそ」の息子娘世代なんだよなーとしみじみする。

 

そういえば以前の会社でも、こんなことがあった。

 

「chuckくんってゲイなの?そうなんだ!もっと早く言ってくれれば良かったのに!」

 

面倒見の良いお兄さんタイプのプロダクトマネジャーさんからそう言われた。

 

「大学時代の友人にも、そう言えばカミングアウトされたっけなー」

 

そうか、この人の人生には、他のゲイの足跡が既にあるのだ。昔を懐かしむような口調のマネジャーを見ながら、会ったことすらない彼の友人に思いを馳せる。

どんな日に、どんな場所で、どんな言葉でゲイであることを告げたのだろう。勇気を出したカミングアウトをだったのだろうか。それともすっかり慣れっこだったのだろうか。

見たことも無い彼に、共感というか同志みたいな感情を抱いてしまう。

 

そして、次にカミングアウトをされた時、この人は僕のことを話してくれるんだろうか、とも考える。

僕は実例になりたい。「前に一緒に働いていた人がゲイでさー、優秀なプログラマだったね〜」と言われたい。いや、優秀は欲張りかもしれない…。マジメなプログラマでも、読書家のプログラマでも良いんだけど。とにかく、誰かにとっての「会ったことのあるゲイ」の一人になって、その人の「普通のゲイ」を構成する一部になりたい。

カミングアウトは別にしてもしなくても良いと思うけど、僕はする方を選んでしまったので、それが少しマジメなゲイである自分の役割…のような気がしている。それが僕なりのバトンの渡し方なのかもしれない。*2*3

 

というわけで、明日は連休前の平日最終日(来週は休みを取った…!)。いつも通り、なるべく良いコードを書いて、良いプロダクトを作るその一助となります。

*1:「普通」という言葉を使っていますが、何が普通で何が普通でないかを区分するような意図はありません。

*2:とは言え、対面でカミングアウトをするだけではなく、ブログを書いたり何かを発信しているだけでも達成できるものは沢山あるけど。

*3:記事内容の割に大袈裟なタイトルをつけてしまったかもしれない…。

彼氏の友人に会うという一大イベント

先々週の日曜に、今付き合っている人の友人に会うというビッグイベントがあった…!!

 

自分の交際歴(堅い)を振り返った時、それらは全て1対1の関係だった。基本的にアプリがキッカケで付き合い始めることがほとんどだったから、そのままの流れで二人きりの世界のまま。ゲイの交際関係ってこういうパターン多くないかな?そんなことないかな。

だから今回、付き合っている人の友人に会うというのは人生で初めての経験だった。

 

いやぁ…緊張した。

会ってみてウェーイ系のゲイだったらどうしようとか、めちゃめちゃ身構えた。いやでも、僕が今付き合っている人は本当に普通っぽいゲイなので、その可能性は低いだろう…とか勝手に憶測したり。

 

そしてあっという間にその日が来て。代々木のカンボジア料理屋にて。彼の友人とご対面。

初めまして〜。なんて自己紹介して食事会?がスタート。

 

良かった…!なんか良い人たちっぽい…!(第一印象)

 

事前に聞いてはいたけど、その日に会ったのはお二人の歳上のゲイの方たち。その二人は付き合って4ヶ月になるとのことだった。

便宜上、Eさん(30代前半)とKくん(20代後半)とするけど、Kくんはなんとプログラマだった。しかも制作分野が非常に似ていた。ログ解析とか、データ分析とか…。俄然興味を惹かれる。Eさんもアメリカ出身とのことでオープンマインドな雰囲気がひしひしと伝わってきてとても話しやすい人だった。

 

それから話が進んでいって、話題は彼らの共通の友人について。

その3人は既に何度も遊んでいて、共通の友人も何人かいるみたいだった。

 

「この前OO君がさー」とか「XX君、花見に来てたよー」とか。

 

ああ…この人たちにも交友関係があって、ゆるく所属しているネットワークがあるのだなぁと。当たり前のことなんだけど、具体的な人名や出来事として感じ取ってしまう。

そしてやっぱり読書会に思いを馳せる。僕にだって居場所があるのだ。

 

だけど、彼我のコミニュティの違いが気になってしまった。僕らは趣味で繋がった、共通点のあるコミニュティだけど、この人たちを繋げているものは一体なんだろう。

友だちの友だち。友だちの彼氏。彼氏の友だち。それはすごく抽象的な繋がりに思えた。際限が無く、境界線は曖昧。

世の中のゲイの繋がりって、案外そういう緩いものなのかもなぁ…(少しマジメなゲイ、26歳にして世間を垣間見る)。読書会がクローズドなサークルなだけで、コッチの方が珍しいのかもしれない。

 

この違いは、また「ゲイの居場所」について書く時に留意したいポイントだ。

 

さて、そんな「友だちの友だち」トークに花が咲く中でも、Eさんが優しくフォローしてくれる。

「OO君っていう僕らの友だちがいてね…」等々。優しい〜

 

自分の人生を振り返った時、こういう局面でひとりぼっちになってしまうことが多々あった。

 

えっ、僕初めましてなんですけど…。

同じテーブルで会話に参加しているはずなんですけど…。

 

自分を置き去りにして、盛り上がっていく会話に冷めてしまったのを思い出す。グイグイ行けなかった自分が良くなかったのかも知れないけど、まあそういう人たちだったんだろうな。排他性の強いコミュニティはある。それだけの話なんだけど、でもやっぱり僕はそういうコミュニティは苦手だし、二度目の参加は無いだろうなと思ってしまう。

読書会の人たちは、初めましての人でもきちんと気を配ってくれる。僕自身、きちんと同席した人をインクルードというか包摂するような雰囲気は常に持っていたいなと思う。

 

そういうわけで、EさんとKくんには非常に安心して好感を持った。

 

それから、食事会は終了。二次会的に、代々木のオシャレバーへ。ラフな格好で来てしまったことを後悔しつつ、出しゃばらない程度に話に相槌を打ち、レスポンスを返す。

そうそう、初めましてだし、彼らは彼の友人なのだし、グイグイ行かなくていいのだ。ヘンに盛り上げようとしなくていいのだ。向こうから見て「友だちの彼氏」というポジションにいる僕は、あくまで彼の隣に座っていればニコニコしていればそれで充分。そう思うと気が楽になった。

 

彼の友人に会うというのは、こういうスタンスで行けばいいのかな?

そんな新しい学びを得たビッグイベントでした。次は、こっちの友人も紹介したいなー。

【ゲイブログお題】いつゲイと自覚したか

どうも、chuckです。今回は【ゲイブログお題】について書きます。

今回のお題は「いつゲイと自覚したか」です。Presented by じじ (id:didikittenさん。

 

ちなみに前回のお題はこちら。

chuck0523.hatenadiary.jp

 

【ゲイブログお題】はどなたでも参加可能です。「いつゲイと自覚したか」についてピンと来た方は、どなたでも!奮ってご参加くださいませ。

 

いつゲイと自覚したか

いきなり結論から話してしまうと、物心ついた頃からです。

「ゲイに目覚めるキッカケ」というのが未だによく分かりません。幼い頃から、目が行ってしまうのは好みの男の子でした。そしてそれを自然なことととして受け入れていたような気がします。大学のゲイの友人と「ネイティブゲイ」なんて言葉を作って笑い合っていたような気がします。

むしろ「キッカケ」があった方に対して、ドラマチックというか(好奇心的な意味で)面白いなと感じてしまいます。それはあまりにも実感が無いので、他の方が書かれる記事が楽しみです。人それぞれ事情があって、ゲイであることに折り合いをつけることが中々難しい方もいらっしゃるのでしょうが…。

 

初恋のようなもの

物心ついた頃から!で話が終わってしまうと寂しいので、もう少しだけ書きます。

自分にとっての紛れもない初恋は14歳の頃だったのですが、その前に「初恋のようなもの」がありました。

 

子供時代に、父親の実家に帰省した時のこと。その土地のゲームセンターを訪れた僕は、とあるゲーム機に強烈に惹かれました。サッカーゲームの主人公に一目惚れしてしまったのです。いかにも平成初期!といった絵柄のサッカー少年に本当にドキドキしました。

気にしない風を装いつつ、何度もそのゲーム機の周囲をうろつきました。この頃からあまり素直な性格じゃなかったみたいですね笑

 

結局そのゲームをプレイしたかどうかは覚えていないのですが、今回のお題に際してそんな「初恋のようなもの」を思い出してしまいました。人生の中で最古のときめきは、まさかの二次元への恋でした。

 

ゲイと自覚したまま生まれて

そんなわけで、記憶がぼんやりとした時期から僕は既にゲイでした。ゲイであることに苦悩が無かったかと言えばそんなことは無いのだけど、ゲイとしての自分はずっと違和感なく心の中に収まっていました。

 

だけど、

「男が男を好きになるというのは、世間にとっては普通のことではないのかもしれない」

ということもまた、物心がつく過程で何となく分かってきました。

 

自分自身との折り合いについては既にパスしていたので、ゲイとしての僕の悩みって「周囲とどのように折り合い」をつけていくのかに終始していた気がします。自分がゲイであることへの戸惑いはほとんど無く、「カミングアウトしてしまいたい」「でもカミングアウトしてしまったらどうなるんだろう」という人との関わりに付随する悩みが多かった気がします。

ああ、懐かしいそういう気持ち…。大人になればそれなりに自分に居心地を良い環境を選べるのに、子供の頃って圧倒的に選択肢が少ないですよね。自分は生存戦略的に、常にゲイとしての周りとの関わりを気にしていました。いや、気にしていたなんて生ぬるいものではなく、常にある種の緊張状態にあったのかも。「人と違う」ということがイジメや嫌がらせのターゲットになり得る状況で、「ゲイ」なんていう特大スクープを絶対に知られてはいけない。いつも服の下に爆弾を抱えて通学しているようなものだったのかも。

だから、大人になってからゲイだと自覚した人が少しだけ羨ましくもあったりします。その戸惑いは計り知れないのかも知れないけど、少なくとも職業選択・居住地選択の自由が許された状態からのスタートでは、選ぶことも逃げることもできます。実際、大人になった僕にはほぼゲイの友人しかいませんしね。ゲイの友人はやっぱり話が合うし気楽です。

 

じゃあ、あの頃のサバイバル期間が無い方が良かったのか?そう聞かれれば、返答に困ってしまいます。当時の抑圧された状況だったからこそ勉強を頑張れたし、ゲイとしてのアイデンティティが確たるものになった気がしています。

 

おしまい

長々と書いてしまいましたが、「いつゲイと自覚したか」について書いてみました。

本当の初恋や、女子と付き合ってしまって「やっぱり違うな」と感じた話についてはまたいつか書けたらいいですね。