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ちょっとマジメなゲイが書くブログ

少しマジメなゲイの生き様...?

同僚とコーヒーを買いに行くのが毎朝の日課だ。最近のトピックはもっぱらゴールデンウィークについて。

同僚からゴールデンウィークの過ごし方について聞かれる。僕は彼氏と、彼氏の友人2人と旅行に行くことになっている。

 

彼氏の友人については前回書いた通り。

 

chuck0523.hatenadiary.jp

 

「石川県に旅行に行くよー」

 

ありのままに答える。すると、同僚がニヤニヤし始める。

 

「誰と行くの?」「もしかして…?」

 

その場にいたのは4人。3人にはカミングアウトしているけど、もう1人はまだ知らない。3人は同じチームで常に連携して働いている。もう1人は大きい括りでは同じチームだけど、たまに話す程度だ。

 

どうしようかなと思いつつ、味方が3人もいるんだしもういいやと振り切った。

 

「彼氏と行きます…!」

 

3人がいつものノリで冷やかしてくる。やっぱり外国人(特に欧米人)はカップル文化だから、そういうことには無条件でノリノリだ。

もう1人の同僚の顔を伺うと、「おー!」と驚きつつ祝福してくれた。良かった良かった。

 

彼は僕のTシャツを良く褒めてくれるんだけど、後になって「どこで買ってるの?」と聞いてきた。それまでと変わらずに接してくれるのは、カミングアウトが受け入れられるよりも格段嬉しい。すっかり安心して楽天のお気に入りのネットショップを教える。しまった!同じTシャツを買ってしまったら恥ずかしい、ということに後から気づく。

 

 

同僚に彼氏の存在が知られてからは、冷やかされることが増えた。

定時帰宅しようものなら、「めずらしいね。あっ、デートかw」なんて冷やかされて、僕はちょっと耳を赤くしながら退社する。

 

なんて普通*1なんだ。

前の日本人だけの会社では、カミングアウトしたものの、その後の発展はなかった。(ハッテンではなく発展)

 

ゲイであることが普通に受け入れられて、彼氏との関係を普通に冷やかしてくれる。僕はこのことに感謝しなければいけない。いや、本当に理想の世の中とは、それが普通すぎて感謝すら必要のない世界なんだろうけど、今までの自分の人生を振り返るにつけ、やっぱりいちいち心が温まってしまう。

感謝するべきは同僚だけじゃない。大袈裟な話だけど、一歩ずつゲイを普通にしてくれた(してくれている)人たち全てのおかげなんだよなぁと少しセンチメンタルな気分になってしまう。

 

少し前にNetflixで「パレードへようこそ」という映画を見た。

www.netflix.com

 

もうね、良すぎたね。「パレードへようこそ」は純粋なLGBT映画ではなく、80年代のサッチャー政権下での炭鉱労働者への冷遇という側面もあって、両者が交流して絆を築いていく様は涙無しには観れない…(映画評が下手クソ)。

 

思想や結果の違いはあれど、一歩ずつ行動を起こして「ゲイ」を普通にしてくれた人への想いを忘れたくない。後世の人々が感謝を忘れるほどの「普通」は、ある意味では彼らの理想の達成なのかもしれないけど。それでも僕はまだ自分が過渡期にいると感じるので、受け取ったバトンを握っていたい。

 

一緒に働く同僚は、まさしく「パレードへようこそ」の息子娘世代なんだよなーとしみじみする。

 

そういえば以前の会社でも、こんなことがあった。

 

「chuckくんってゲイなの?そうなんだ!もっと早く言ってくれれば良かったのに!」

 

面倒見の良いお兄さんタイプのプロダクトマネジャーさんからそう言われた。

 

「大学時代の友人にも、そう言えばカミングアウトされたっけなー」

 

そうか、この人の人生には、他のゲイの足跡が既にあるのだ。昔を懐かしむような口調のマネジャーを見ながら、会ったことすらない彼の友人に思いを馳せる。

どんな日に、どんな場所で、どんな言葉でゲイであることを告げたのだろう。勇気を出したカミングアウトをだったのだろうか。それともすっかり慣れっこだったのだろうか。

見たことも無い彼に、共感というか同志みたいな感情を抱いてしまう。

 

そして、次にカミングアウトをされた時、この人は僕のことを話してくれるんだろうか、とも考える。

僕は実例になりたい。「前に一緒に働いていた人がゲイでさー、優秀なプログラマだったね〜」と言われたい。いや、優秀は欲張りかもしれない…。マジメなプログラマでも、読書家のプログラマでも良いんだけど。とにかく、誰かにとっての「会ったことのあるゲイ」の一人になって、その人の「普通のゲイ」を構成する一部になりたい。

カミングアウトは別にしてもしなくても良いと思うけど、僕はする方を選んでしまったので、それが少しマジメなゲイである自分の役割…のような気がしている。それが僕なりのバトンの渡し方なのかもしれない。*2*3

 

というわけで、明日は連休前の平日最終日(来週は休みを取った…!)。いつも通り、なるべく良いコードを書いて、良いプロダクトを作るその一助となります。

*1:「普通」という言葉を使っていますが、何が普通で何が普通でないかを区分するような意図はありません。

*2:とは言え、対面でカミングアウトをするだけではなく、ブログを書いたり何かを発信しているだけでも達成できるものは沢山あるけど。

*3:記事内容の割に大袈裟なタイトルをつけてしまったかもしれない…。

彼氏の友人に会うという一大イベント

先々週の日曜に、今付き合っている人の友人に会うというビッグイベントがあった…!!

 

自分の交際歴(堅い)を振り返った時、それらは全て1対1の関係だった。基本的にアプリがキッカケで付き合い始めることがほとんどだったから、そのままの流れで二人きりの世界のまま。ゲイの交際関係ってこういうパターン多くないかな?そんなことないかな。

だから今回、付き合っている人の友人に会うというのは人生で初めての経験だった。

 

いやぁ…緊張した。

会ってみてウェーイ系のゲイだったらどうしようとか、めちゃめちゃ身構えた。いやでも、僕が今付き合っている人は本当に普通っぽいゲイなので、その可能性は低いだろう…とか勝手に憶測したり。

 

そしてあっという間にその日が来て。代々木のカンボジア料理屋にて。彼の友人とご対面。

初めまして〜。なんて自己紹介して食事会?がスタート。

 

良かった…!なんか良い人たちっぽい…!(第一印象)

 

事前に聞いてはいたけど、その日に会ったのはお二人の歳上のゲイの方たち。その二人は付き合って4ヶ月になるとのことだった。

便宜上、Eさん(30代前半)とKくん(20代後半)とするけど、Kくんはなんとプログラマだった。しかも制作分野が非常に似ていた。ログ解析とか、データ分析とか…。俄然興味を惹かれる。Eさんもアメリカ出身とのことでオープンマインドな雰囲気がひしひしと伝わってきてとても話しやすい人だった。

 

それから話が進んでいって、話題は彼らの共通の友人について。

その3人は既に何度も遊んでいて、共通の友人も何人かいるみたいだった。

 

「この前OO君がさー」とか「XX君、花見に来てたよー」とか。

 

ああ…この人たちにも交友関係があって、ゆるく所属しているネットワークがあるのだなぁと。当たり前のことなんだけど、具体的な人名や出来事として感じ取ってしまう。

そしてやっぱり読書会に思いを馳せる。僕にだって居場所があるのだ。

 

だけど、彼我のコミニュティの違いが気になってしまった。僕らは趣味で繋がった、共通点のあるコミニュティだけど、この人たちを繋げているものは一体なんだろう。

友だちの友だち。友だちの彼氏。彼氏の友だち。それはすごく抽象的な繋がりに思えた。際限が無く、境界線は曖昧。

世の中のゲイの繋がりって、案外そういう緩いものなのかもなぁ…(少しマジメなゲイ、26歳にして世間を垣間見る)。読書会がクローズドなサークルなだけで、コッチの方が珍しいのかもしれない。

 

この違いは、また「ゲイの居場所」について書く時に留意したいポイントだ。

 

さて、そんな「友だちの友だち」トークに花が咲く中でも、Eさんが優しくフォローしてくれる。

「OO君っていう僕らの友だちがいてね…」等々。優しい〜

 

自分の人生を振り返った時、こういう局面でひとりぼっちになってしまうことが多々あった。

 

えっ、僕初めましてなんですけど…。

同じテーブルで会話に参加しているはずなんですけど…。

 

自分を置き去りにして、盛り上がっていく会話に冷めてしまったのを思い出す。グイグイ行けなかった自分が良くなかったのかも知れないけど、まあそういう人たちだったんだろうな。排他性の強いコミュニティはある。それだけの話なんだけど、でもやっぱり僕はそういうコミュニティは苦手だし、二度目の参加は無いだろうなと思ってしまう。

読書会の人たちは、初めましての人でもきちんと気を配ってくれる。僕自身、きちんと同席した人をインクルードというか包摂するような雰囲気は常に持っていたいなと思う。

 

そういうわけで、EさんとKくんには非常に安心して好感を持った。

 

それから、食事会は終了。二次会的に、代々木のオシャレバーへ。ラフな格好で来てしまったことを後悔しつつ、出しゃばらない程度に話に相槌を打ち、レスポンスを返す。

そうそう、初めましてだし、彼らは彼の友人なのだし、グイグイ行かなくていいのだ。ヘンに盛り上げようとしなくていいのだ。向こうから見て「友だちの彼氏」というポジションにいる僕は、あくまで彼の隣に座っていればニコニコしていればそれで充分。そう思うと気が楽になった。

 

彼の友人に会うというのは、こういうスタンスで行けばいいのかな?

そんな新しい学びを得たビッグイベントでした。次は、こっちの友人も紹介したいなー。

【ゲイブログお題】いつゲイと自覚したか

どうも、chuckです。今回は【ゲイブログお題】について書きます。

今回のお題は「いつゲイと自覚したか」です。Presented by じじ (id:didikittenさん。

 

ちなみに前回のお題はこちら。

chuck0523.hatenadiary.jp

 

【ゲイブログお題】はどなたでも参加可能です。「いつゲイと自覚したか」についてピンと来た方は、どなたでも!奮ってご参加くださいませ。

 

いつゲイと自覚したか

いきなり結論から話してしまうと、物心ついた頃からです。

「ゲイに目覚めるキッカケ」というのが未だによく分かりません。幼い頃から、目が行ってしまうのは好みの男の子でした。そしてそれを自然なことととして受け入れていたような気がします。大学のゲイの友人と「ネイティブゲイ」なんて言葉を作って笑い合っていたような気がします。

むしろ「キッカケ」があった方に対して、ドラマチックというか(好奇心的な意味で)面白いなと感じてしまいます。それはあまりにも実感が無いので、他の方が書かれる記事が楽しみです。人それぞれ事情があって、ゲイであることに折り合いをつけることが中々難しい方もいらっしゃるのでしょうが…。

 

初恋のようなもの

物心ついた頃から!で話が終わってしまうと寂しいので、もう少しだけ書きます。

自分にとっての紛れもない初恋は14歳の頃だったのですが、その前に「初恋のようなもの」がありました。

 

子供時代に、父親の実家に帰省した時のこと。その土地のゲームセンターを訪れた僕は、とあるゲーム機に強烈に惹かれました。サッカーゲームの主人公に一目惚れしてしまったのです。いかにも平成初期!といった絵柄のサッカー少年に本当にドキドキしました。

気にしない風を装いつつ、何度もそのゲーム機の周囲をうろつきました。この頃からあまり素直な性格じゃなかったみたいですね笑

 

結局そのゲームをプレイしたかどうかは覚えていないのですが、今回のお題に際してそんな「初恋のようなもの」を思い出してしまいました。人生の中で最古のときめきは、まさかの二次元への恋でした。

 

ゲイと自覚したまま生まれて

そんなわけで、記憶がぼんやりとした時期から僕は既にゲイでした。ゲイであることに苦悩が無かったかと言えばそんなことは無いのだけど、ゲイとしての自分はずっと違和感なく心の中に収まっていました。

 

だけど、

「男が男を好きになるというのは、世間にとっては普通のことではないのかもしれない」

ということもまた、物心がつく過程で何となく分かってきました。

 

自分自身との折り合いについては既にパスしていたので、ゲイとしての僕の悩みって「周囲とどのように折り合い」をつけていくのかに終始していた気がします。自分がゲイであることへの戸惑いはほとんど無く、「カミングアウトしてしまいたい」「でもカミングアウトしてしまったらどうなるんだろう」という人との関わりに付随する悩みが多かった気がします。

ああ、懐かしいそういう気持ち…。大人になればそれなりに自分に居心地を良い環境を選べるのに、子供の頃って圧倒的に選択肢が少ないですよね。自分は生存戦略的に、常にゲイとしての周りとの関わりを気にしていました。いや、気にしていたなんて生ぬるいものではなく、常にある種の緊張状態にあったのかも。「人と違う」ということがイジメや嫌がらせのターゲットになり得る状況で、「ゲイ」なんていう特大スクープを絶対に知られてはいけない。いつも服の下に爆弾を抱えて通学しているようなものだったのかも。

だから、大人になってからゲイだと自覚した人が少しだけ羨ましくもあったりします。その戸惑いは計り知れないのかも知れないけど、少なくとも職業選択・居住地選択の自由が許された状態からのスタートでは、選ぶことも逃げることもできます。実際、大人になった僕にはほぼゲイの友人しかいませんしね。ゲイの友人はやっぱり話が合うし気楽です。

 

じゃあ、あの頃のサバイバル期間が無い方が良かったのか?そう聞かれれば、返答に困ってしまいます。当時の抑圧された状況だったからこそ勉強を頑張れたし、ゲイとしてのアイデンティティが確たるものになった気がしています。

 

おしまい

長々と書いてしまいましたが、「いつゲイと自覚したか」について書いてみました。

本当の初恋や、女子と付き合ってしまって「やっぱり違うな」と感じた話についてはまたいつか書けたらいいですね。

久しぶりのLGBTミートアップ

少し前になるけど、Jくんに誘われて久しぶりにLGBTミートアップに参加してきた。

 

LGBTミートアップや前回のイベントの詳細はこちら↓↓

 

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今回のイベントは代々木公園でのお花見ピクニック。

Jくんと公園の入口で待ち合わせをする。Jくんの友だちが迷ってしまったらしく、待ちぼうけ。どうやら代々木駅で降りてしまったらしい。代々木公園待ち合わせあるある〜

 

Jくんの友だち(Rくん)とは初めましてだったんだけど、感じの良い歳上さんだった。英語勉強中!とのことで、LGBTミートアップに参加して外国人のLGBTと仲良くなりたいとか。

 

道すがら3人で話す。自分でも驚いたんだけど、JくんとRくんの仲の良さに少しだけ嫉妬した…w

僕とJくんは半年に1度会う程度。一方で、Rくんとはしょっちゅう会っているらしく、Twitterでも交流があるらしい。まあ、そりゃあそっちの方が仲が良くなるのは分かるんだけど、見たことのないJくんの一面に戸惑う。友情はそこにあるものではなく、時間をかけて育むもの…。もっと自分から遊びに誘わなくちゃな〜。Jくんから遊びに誘われることはあれど、僕の方から誘うことは稀だ。

 

ピクニックの場所はレジャーシートの上に堂々と広げられたレインボーの傘ですぐに分かった。笑

30人くらいの参加者がいて、パッと見で日本人は3割ほどいたような気がする。

 

初めまして〜久しぶり〜とか挨拶しながら輪の中に入れてもらう。

LGBTミートアップのオーガナイザー(主催者)は何人かいるんだけど、花見にはジャッキーが来ていた。彼女は白人のビアンで、ノリコさんという日本人の素敵な彼女がいる。その日も2人で仲睦まじく参加していた。

僕は隣にいたVinnyというイケてる()中華系オーストラリア人とお話していたんだけど、ふいにジャッキーが満面の笑みで話しかけてきた。

 

「そういえば、台湾どうだったの?」

 

みんなの視線が自分に集まる中、当時のことを思い出しながら台湾の生活について話した。

 

ビックリしたね。台湾に行ったのなんて1年以上も前だし、そもそも最後にジャッキーに会ったのはもっと前だ。よく覚えてるなー。僕はあまり人の話したことを覚えていない(ダメ人間な)ので、感動してしまった…。

 

イベント終わりの道すがら、ミートアップのイベントページにコメントを残す。

 

「今回もとっても楽しかったよー!ジャッキーが僕のことを覚えてくれていて感動したw このミートアップは僕にとってHomeみたいな感じ!」

 

Homeみたいな感じ。まさしく居場所だ。僕が最近考えていること。

ただ暖かく迎えてくれるだけではなく、時間が経った後でも自分の存在が記憶されていているというのは重要なポイントだなぁと思った。

形になってきた文化系ゲイサークル

先週の日曜に第16回の読書会を開催した。

新年度一発目ということで、新しいメンバーを迎えての開催だった。新メンバーとは事前に「顔合わせ」を行っているので、全くの初対面ではないけど、やっぱり緊張してしまった。自前の吃音が炸裂するかと思ったけど、大丈夫だった。大丈夫だったのは既存のメンバーがいたからだ。他の既に仲の良いメンバーと話していると気が楽になった。

読書会は僕にとって、というか僕にとってこそ、居場所なのだと再実感。

 

勢いで発足した読書会だけど、だいぶ形になってきたと感じる。

新メンバーの受け入れ体制もそうだけど、会自体の進行が板についてきた。サークルメンバーがローテーションで「課題本」を選定する。選定者が会場の予約をする。当日、会場にわらわらとメンバー達が集まってくる。部屋に入ってくる顔ぶれを見てなんだか安心する。新メンバーを交えて自己紹介。課題本の選定者から一言メッセージを頂戴する。11人を2つのグループに分けて、感想の話し合いを開始。以前の少しぎこちない雰囲気はどこへやら、次々に意見が俎上に載せられていく。決して白熱した議論でもなく、否定し合うような議論でもなく、本が好きな人たちによる暖かみのある会話。お互いの人柄や考え方を知ってからは特に、感想の話し合いが板についてきたように思う。それから1時間が経過し、会は終了。次回の課題本の選定者から一言もらって、二次会へ。

うん、確実に形になってきている。

 

読書会の良いところは、本だけではないところだ。読書会の日以外に遊びに行くこともある。食事会、展覧会、花見、クリスマス会、旅行…等々。それは僕の私生活を本当に彩ってくれている。

だけど、やっぱり主軸は本だ。本を読み、そして感想を話し合う。本が好きなゲイの居場所という点がメインでなければいけないと僕は常々考えている。幸い良いメンバーが集まってくれて楽しくやっているけど、「本」という共通項が薄まった単なるイベントサークルになってはいけない。それは早晩、意味を失ってしまう。(もちろんイベントを企画・進行をしてくれるメンバーには本当に感謝しているんだけど!)

 

だからこそ、「本」という軸がブレていないか常に気にしている。

 

先日、読書会をどのように運営していくのかという話し合いをした。その中で本の話し合いをどのように進めていくのかというトピックが出た。具体的に言うと、発言が得意ではない人をどうするか。話し合いのスピードについていけない場面をどのようにフォローするかという話。

それに対するカウンター意見があり、僕はなるほどと唸ってしまった。

 

読書会の場で発言の多い・速い人は何も、能力だけでそれを実現できているわけではない。やっぱり事前の読み込みが深い。いや、それは能力に関わる部分かもしれない。けれど少なくともしっかりと準備している人は、実りのある参加を果たしているような気がする。とあるメンバーさんが毎回、ビッシリと付箋を貼って参加してくる。やっぱり彼は発言が多い。単なる発言ではなく、核心を突くパートや、皆が気になっていた箇所を適切にピックアップしてくれる。

それを見て、僕は毎回反省していた。僕の参加態度は決して準備万端ではない。課題本を読むのはもちろんだけど、あまり付箋を貼るようなことはしない。あるいは関連情報をまとめてメモしておくとか。そこには、本にのめり込みすぎて付箋を貼ったりメモを取っておくのが手間という事情はありつつ…。

ということを、カウンター意見の発言者たちからは感じた。一理ありすぎる。良くない言い方をしてしまうと「下に合わせる」ということばかりに意識が偏っていたかも知れない。しっかりと読み込んで来てくれている人、下準備を万全にしてくれる人が「物足りないな」と感じてしまってはいけない。イベントサークルではなく読書サークルなので、「読書」に関する質が下がってしまってはダメだ。

ビギナーな方も、エキスパートの方も、その両者が楽しめて、そして相乗効果が期待できるような仕組みを考えていかないとなぁと思いつつ、現状は各人へのその場任せになってしまっている。

 

何はともあれまずは自分のできることから。今回は課題本の読了はいつもよりは早めに。気になる箇所や、皆に意見を聞いておきたい場所はノートに書き写しておいた。そして今回の本は「山本周五郎賞」を受賞した本だったから、過去の受賞作をリストアップしてみたりもした。

結果として、いつもよりは意見を言うことができた気がするし、新しいメンバーさんにとって少しは良いお手本になれたのかなとも感じた。

 

何事も準備は大事だ。面接でも試験でも仕事でも…。本番での成果は能力・実力に左右されるけど、事前準備は誰にでも等しく与えられたチャンスだ。凡人こそ、事前準備をして本番での成果を最大化させないとね(自戒)。

 

と、長々と書いてしまったけど。皆の前で話すと「気楽に参加できる」雰囲気を損ねてしまうかもしれないのでブログにひっそりと綴ってみた。

何はともあれ、まずはサークルが続いていて形になってきていることを祝福しないとね。